陶器の未来に奮闘する陶器作家


陶器作家 猪飼祐一

陶器作家。19歳で陶器の道に入り、焼き物の世界の面白さを知る。京都五条坂に陶器商・ギャラリー「壺屋喜兵衛」、日吉には工房(登り窯)を持つ。お客さんの顔を思い浮かべながら制作している。

陶器の学校が終わった後でも焼き物がしたかった

―まず、これまでの経緯を教えていただけますか?

はい。もともと焼き物の家で育ちました。京都の五条坂で陶器を売るお店をやっていました。代々続く商売人の家ですね。

焼き物をする人にとって「五条坂」という場所は、ひとつの格式ある場所です。そんな場所で仕事が出来ることに父親もおじいさんも誇りを持っていました。

僕も子供の頃から大切な物という意識はありましたし、長男なので商売人として後を継がないといけないなと思っていました。

―では、小さい頃から焼き物に興味があったのですか?

いや、高校生までは全く焼き物に興味がなかったです。父親が物を仕入れて売るという形態ではなく、作って売るという製造販売という形がこれからは良いのではないかと考えている時期がありました。

その頃僕は、商売や人前に出るというのが苦手で、物を作ったり、絵を描いたりする方が得意だったので陶器の学校へ行ってみないかとなりました。陶器の学校に入ったのが19歳ぐらいですかね。実はその時が焼き物に初めて触れた時でした。

―その陶器の学校に行ってみてどうでしたか?

取り敢えず、その陶器の学校へ何にも分からず行ってみました。ですが、その時は焼き物にあまり興味がありませんでした。製造現場も見たことがなかったですし、焼き物がどうして焼けるのかという事も知りませんでした。

そんな状態から陶器の学校に行くようになり、物を作るという現場を見て、実際に粘土から形を作っていくということに触れた時、初めて物を作ることが面白いなと思いました。褒められることもあったので自分の中で小さな自信が付きました。

焼き物の世界に入り、学校が終わってもまだ焼き物をやりたいと思うほどのめり込んでいました。生徒の中で上手な人もいました。その人はある程度経験がありましたが、それもわずか1年や2年なのに、僕よりはるかに早くて上手で。そういうことに悔しいと思っていました。

―負けず嫌いだったのですね。

そうですね。技術というものに関しては、負けず嫌いだったのかもしれません。

その学校には同じ目的を持って来ている仲間がいました。僕は19歳ぐらいの時に行きましたけど、中卒、高校や大学を出た人、芸術系の大学を出て来た人もいました。焼き物屋の息子もいましたし、脱サラで来た人もいました。30人程いたその仲間の人たちは、世代がバラバラだった訳です。

そういった人たちが同じ学び舎で学んでいる中で、一度社会に出た人や芸術を指していた人の考え方などを聞いたときに、自分の内面や見聞きしてきた物を表現するといった世界を初めて知りました。

陶器作家。19歳で陶器の道に入り、焼き物の世界の面白さを知る。京都五条坂に陶器商・ギャラリー「壺屋喜兵衛」、日吉には工房(登り窯)を持つ。お客さんの顔を思い浮かべながら制作している。

―それから焼き物の世界にはまっていった、ということでしょうか?

焼き物の世界に入ったらこれはもう面白いと。そして、勉強しだすといろいろなことが分かりました。そして、茶や料理の文化、器の文化、などを知っていきました。

そうすると、自分の外側に無限の世界が広がっていることに気づきました。

また、手に付ける技術というのは自分の内面だということを痛感しました。師匠とも出会いその技術の凄さに毎日が驚きと、感動でした。なぜ自分には出来ないのだろうか、と思っていました。だからその当時は必死でしたね。

―上を目指して行こうとする気持ちが強かったのですね。

そうですね。良いものを作るには技術も必要ですし、人間を磨くことも必要です。そのためには、様々な経験を積むことやたくさんの人と関わっていくことが大切です。

人や物と関わることで勉強していくことが成長だと思っています。そのためには、自分から飛び込んでいかないといけません。

学生の時は先生から教えてもらえますが、社会人になると自分から行かないと教えてもらえません。人から学び取ることは大切なことです。

製作した物の先には必ず人がいるということを考えています

―そうして学んだ技術で、手作りのものを製作していくうえで大切にしていることは何ですか?

あくまでも、僕が制作した物の先には人がいるということを一番に考えながら製作しています。製作したものを、買うなり見るなりする誰かが必ずいるということです。

そのように考えるのは、自分の作ったものを手に入れた人にそれがあることで何か心が安らいだり、穏やかになったり、そんな風になってもらいたいからです。そう考えながら製作しないと、自己満足だけで終わってしまいますからね。

―製作以外にも、作家、職人、窯元、小売、といった様々な側面をお持ちです。それらに共通する点やモチベーションについて聞かせてください。

確かに僕にはその4つの側面がありますが、もちろん全てをこなすことは難しいです。

ですが、現実として4つの側面がある訳です。そうすると、どれもがいい加減になる時もありますし、調子の良い時は全て良い時もあります。だから4つの中の1つは家族に任せている部分もあります。

今の心境としては僕はやはり物を作る人間なので、ある程度は製作の方に行きたいと思っています。

陶器作家。19歳で陶器の道に入り、焼き物の世界の面白さを知る。京都五条坂に陶器商・ギャラリー「壺屋喜兵衛」、日吉には工房(登り窯)を持つ。お客さんの顔を思い浮かべながら制作している。

時代の流れの中では、仕方のないことかもしれません

―科学技術などが発達してきた中で、手作りのものが今の市場に適応していないと思います。それをどうにかしようとしていますが、難しいと感じています。

難しいですね。もちろん業種によっても違ってもきます。伝統産業という世界がどんどん縮小しているという現状は、もう仕方のないことです。今から50年前には成り立っていた伝統産業も今はもう無くなってしまったものもあると思います。

また、国、県、市などに保護してもらい成り立っているものや、需要がないものもあります。時代の流れの中では、仕方のないことかもしれません。

―焼き物に関してはどうですか?

焼き物に関しては、特に器の世界でまだ需要があります。ごはん茶碗やお湯呑みは、ほとんどが焼き物です。今は、その焼き物の質ですね。工業製品でなく、焼き物を選んで買う人もまだいます。

だから僕らができる仕事は、そこから先です。焼き物を良いと思うか思わないか、興味を持つか持たないか、ということが大事なことなので、焼き物に限らず手づくりのものに触れる場をできるだけ作ることが肝心です。

手作りの良さを再認識してもらうことは、ものすごく難しい

―手作りの良さを伝えようとしていますが、言語化できていませんし伝えきれない部分があると思います。

手作りのものは値段が高いですし、果たして生活に必要なのかと選択されたときに、必要でないとなってしまう。

でも、どうしても手に入れたいと思う人も必ずいます。ですが、今はその人が少ない。少ないからこそ問題になっているのです。

―他にも後継者不足や需要の低下など伝統産業が抱える問題は数々指摘されていますが、今、必要な事は何だと思われていますか?

はっきりとは言えませんが、今この時代で何かをやらないといけないと感じています。伝統産業に関わる人たちは、それぞれが考えています。ですが、個々に考えているだけで、このままでは全てが衰退していく一方だと思います。

何をすれば良いのか分からないですけども、大きなことをしないといけないような時代になってきたと思います。

それは、作り手が行うべきか、販売する側が行うべきか、行政や業界が行うべきか、どこがということではなく、全体が行わなければいけないことだと思います。手作りのどこが良いのかということもあやふやです。

また、手作りの良さを再認識してもらうことは、ものすごく難しい。ある意味で、みんなが分かっていることですからね。

―「手作りの物=良い」ということは、誰もが分かっていると思います。

それを、僕らみたいな人間が考えるだけでは駄目ですし、学生さんたちがそういう意識を持ってもっと深く掘り下げるということも大事なことだと思います。

手作りの良さって何ですかと聞かれた時に果たしてどれだけの人が答えられるか。僕は答えられないです。たとえ答えたとしても、なぜいいのか、ということを追求していくと詰まってしまいます。

―言葉で温かみと言ったとしても、何か違うように感じてしまいます。

手作りの良さを「温かみ」「ひとつひとつ違う」と言っても、これは全部否定できますよね。「すごく薄く出来ている」「軽くて、デザインもいいでしょ」全部否定できます。何が良いのかが分からない。僕らでも違う分野だと何が良いのか分からないですよ。

ですが、1つのキーワードとして、「心を豊かにする」というのがあると思います。京都に来て着物を着たいと思う、時々京都の料理屋で食べてほっとして帰りまた日々を送る。そこに手作りの良さを感じているんです。

ですが、それを毎日の生活の中に持ってくるということが難しいのだと思います。そして、どんどん需要がなくなれば作り手も少なくなり希少になる。希少価値が出てこればコストとして高くなる。

そうなれば買えない。売れない。需要がなくなる。さらにどんどん減っていく。そういった負のスパイラルになります。

―「負のスパイラル」というのは、その通りだと思います。では、伝統産業は、必要でなくなっていくということでしょうか。

それでも伝統産業品というのは、あくまでどこかで使われ見られるものです。ですが、今より使う場面、場所が増えないといけませんね。

一般の人が使う場所が無くなったからこそ急速に衰退したのだと思います。生活様式がここまで変化したことは、もう止めることができません。ですが、こういったことに関して考えていかなければいけませんね。

陶器作家。19歳で陶器の道に入り、焼き物の世界の面白さを知る。京都五条坂に陶器商・ギャラリー「壺屋喜兵衛」、日吉には工房(登り窯)を持つ。お客さんの顔を思い浮かべながら制作している。

職人紹介

猪飼祐一

陶器作家。19歳で陶器の道に入り、焼き物の世界の面白さを知る。京都五条坂に陶器商・ギャラリー「壺屋喜兵衛」、日吉には工房(登り窯)を持つ。お客さんの顔を思い浮かべながら制作している。

会社説明

壺屋喜兵衛

江戸末期より六代続く陶商。現在は、陶器商・ギャラリーとなっている。

初代の父喜兵衛が壺作りを得意とする職人であったことからその名を取り、京都五条坂で商いをはじめた。

また、京都府南丹市日吉町には工房(登り窯)を持つ。

会社紹介

壺屋喜兵衛

〒605-0846 京都市東山区五条橋東六丁目540-10
TEL:075-541-6884
FAX:075-541-6884

壺屋喜兵衛 facebookページ

作者紹介

編集・構成:西野愛菜
撮影:岡田

写真はこちら


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です