伊勢型紙 引彫職人 伊藤肇
手仕事のぬくたさがある
―よろしくお願いします。まず、どんな仕事をされているのですか。
よろしくお願いします。私のところでは、昔は突彫をやっていました。でも今は、引彫をやっています。引彫は、ビニールを敷きその上に地紙を置き、手前に向かって彫っていく方法です。
道具彫りの時に使う、「道具」と呼ばれるものを紹介すると、刃先が文様の形になってるんですよ。例えば、刃の形がうねっています。そのうねっている刃を、動かないように外から補助を合わせて、糸でくくり作られています。
なので、うねってるように研がないといけないんです。もちろん砥石で研ぐので、それに合った砥石を削って作らないといけません。
―砥石から作られるというのは、驚きです。この仕事をやられてどれほどになるのですか。
父親がやっていて私はもう15歳の頃からなので、58年ぐらいかな。修行の時は朝8時から夜12時まで仕事をしていました。その頃はある程度仕事があったし、同じ年代でこの仕事に入った者もたくさんおりました。
この近所だけでも約50人はおりましたけど、残っているのは私だけです。組合に入ってる人も約300人おりましたけど、今は20人ほど。平均年齢は70歳前後になっていると思います。
―たくさんの職人さんがおられたんですね。
そうです。それだけの仕事を任されとったということですね。その頃は、柄もいろんなものがありました。今は写真型やプリントがあるので、細かいきちっとしたものだと印刷の方に負けてしまうんです。
でも印刷は平面的ですが、私らが彫ったものはきちっとしていなくても、ふわっとしていて、見た目がいい。印刷の冷たさではなく、手仕事のぬくたさがあると思います。
この仕事では、生活ができない
―それが手仕事の良さですね。主に問屋さんから仕事が来るという仕組みなのでしょうか。
まず図案師さんや地紙屋さん、型屋さんがおります。そこに、問屋さんが仕事を渡し、仕事が行きます。
その問屋さんが中心になり、型屋さんに作ってもらった紙を、染屋さんに持って行き、染屋さんが反物を作る。そして、その反物がまた別の問屋さんに行って。また、その問屋さんからまた別の問屋さんに行って。
どれだけの数の問屋さんを介しているか、分からない状態で消費者の元に届くという流れです。
私らみたいに「これお願いします」って頼まれ、彫っているだけだと問屋さんや染屋さんが潰れていけば、型屋に仕事が来なくなるので私らも辞めることになります。
―分業制の結果、起こってしまうことですね。
そうです。今は、伊勢型紙の職人が20人いますけど、20人は残らないと思いますよ。
私らの時は、こうして座っていれば仕事を持って来てくれてたわけです。何にも考えなくても、仕事だけしておけばよかった。今こうして仕事をやっていけるのも、実は年金なんです。それが元にあるからやれるんです。
平均年齢が70歳っていうのは、年金をもらっているからなんです。年金をもらえないから50や60歳代がいないんです。なので、全てこの仕事で賄うことは、できませんね。
若い子には「するな」と言います。興味持ってやって欲しいですけど、もう生活のことを考えたらこの仕事では、生活ができないと思います。
―それでも、伊勢型紙を残していくべきだと思いますか。
そんなことを思ったら仕事できません。残らんでもええやろなと思うだけです。そう思わないとやって行けません。
そんな「この仕事を残していかないといけない」と思うと、次の人を育てないといけない。そんな責任のあること今の状態で出来ないです。
―なるほど。弟子にして欲しいという人はいないのでしょうか。
今でも「弟子にしてください」っていう人は何人か来ますよ。ですが、「うん」っていう職人は、まずいませんね。引き受けたら、その弟子にした子の責任を持たないといけない。
自分たちの生活でさえ成り立っていかないと思うのに、そんなことできません。責任逃れは、したくないですし。染屋さんもだんだん駄目になってきている状態で、その人たちを紹介するわけにもいきません。
そうやって内へ内へ入っていくんです。教えたろっていう人はあまりいませんね。まず、「もうやめとけ」って言います。
できたものが技術ではなく、その途中が技術」
―技術を継承するのが難しい状態ですね。
自分の持ってる技術は自分で終わりだと思っています。そうやって技術を、伝えていかなあかんっていう人はいますよ。でも私は、根本的に私の持ってる技術は、私で終わりだと思います。
それが一番ええなと思っています。私の技術は他の子に、手を持って教えられるわけではありません。それを伝えていくという事は難しいですし、技術は継承していくものと違うと思っています。
それに、自分では技術だと思っていませんし、あまり技術という考えを持っていませんね。
―違うのですか。
習いに来た子に手を持って教えられる訳ではないでしょ。その子が目で見て、自分の感性で覚えていくものです。丸は丸でこんな風に彫ると教えたら、自分なりの丸を掘るでしょ。
私の丸と、その子の丸が違っていてもいいわけです。感性が伝わるか伝わらんかだと思います。
一緒に仕事をして「あっええな」と思って、「どうやって彫ったんやろ」って自分で探しながら、試行錯誤しながら彫っていくんですから。
―では、技術とはなんなのでしょうか。
突き詰めると、何なのか分かりません。でも、できたものが技術ではなく、その途中が技術だと思っています。彫っていく過程が技術なんです。
違う柄が来た時は、やったことがあるものを基本にして自分の技術を作っていかないといけない。真っすぐ動かすこと、丸く動かすことさえ分かっていれば、それをいかに自分でやっていくかが技術なんです。それも自分の感性のひとつ。
感性は頭の中や、指先でどう受けたかなので、伝わらないと思います。習いに行ったとしても、真似はできない。見ているだけ、見て盗むんです。手を持って教えてもらうことは、できないんですから。
技術っていうものは、手の先も頭の中も全て含めてその人の技術なんです。手先だけの技術は、偽りの技術です。気持ちの中などは外からでは分からないし、頭の中は盗めない。技術はその人の心の中まで入らないとできません。
死ぬまで仕事
―なるほど。では、その技術で今後行いことはありますか。
今後というのは、何もないですね。死ぬまで仕事ですかね。仕事ができればそれが一番良いと思います。仕事を持って来てくれたら、それだけでいい。新しいところを探そうとも思っていません。
そういう、自分から商売するのが苦手なんです。今から職人になるのであれば、駄目だと思いますけど、昔は自分が商売をしなくても職人をしているだけで通用していました。
それで自分が何十年と生きて来たので、もう今さらです。少しだけですが、仕事を持って来てくれる所もありますし、好きで入った道なので、これを死ぬまでやっていきたいと思っています。
職人紹介
伊藤肇
工房情報
三重県鈴鹿市江島本町
技術説明
和紙を柿渋で貼り合わせた「地紙」と呼ばれる紙に様々な図柄を彫刻し、布地の染色に使われるのが型紙。江戸小紋や型友禅に使われてきた。
三重県鈴鹿市白子は、型紙の生産地として知られ、この辺りで作られる型紙のことを、「伊勢型紙」と呼ぶ。
彫刻の方法としては、突彫(つきぼり)錐彫(きりぼり)引彫(ひきぼり)道具彫(どうぐぼり)があり、それぞれ使用する道具が異なる。
作者情報
編集:西野愛菜
撮影:田安仁
構成:高田有菜