とある京都の老舗職人


帆布職人 北川信一

「一澤信三郎帆布」の鞄は、1905年に京都東山で牛乳配達袋・酒袋・大工袋など職人用の道具袋を作ったのが始まりです。創業から110年以上を経た今も、一つ一つ手作りで鞄を作り続けています。 「良質の綿・麻帆布をつかって、丁寧な仕事をすること」「長くお使い頂くため、できる限り修理を引き受けること」「京都で作って、京都で売ること」

テント作りからスタート

―職人として一澤信三郎帆布さんで仕事をされるようになるきっかけを聞かせてください。

僕は、凄く変わっていますよ。一澤信三郎帆布に来る前は、料理屋などで働いていました。いずれ小さなお店を持てたらいいなと思っていましたが体を壊してしまって。

その時に、知人からここを紹介してもらったんです。

元々、物を作ることが好きでしたし、得意でした。そういった縁もあってお世話になろうと思い、働くようになりました。

働くようになって32年経ちますが、働くまで生地を縫うという事自体全くしたことがありませんでした。

働くようになり初めて平たい生地を縫い合わせて、立体的にしていく経験をしたんです。意外にウチの会社は未経験の状態で入って来る人も多いんですよ。

―そうなんですね。最初は、どのように技術を学ばれていたのでしょうか。

今は職人が80人ほどいますが、僕が来た頃は男女合わせて10人程でした。女性はかばんを、男性は軒先のテントなどを主に作っていました。

軒先のテントは、一つ一つ形や大きさが違うので、お客さんの所に行き話をしてどんな物を作るのか決めなければいけません。

話をしながら、このくらいの大きさの生地のここをつまんで、淵を立てて、それを縫い付けて、という一つ一つの工程を頭の中で考えながらやっていました。まさに、頭の中で縫っていくんです。

最初の頃は先輩の職人さんとお客さんの所に行ったりとか。あとは、先輩の職人さんが縫っている時に補助として入ったり。

そんな事をしながら、技術を覚えていきました。「ここはこうすんねんで」と説明しながら教えてもらいましたね。

作る製品に関してはいつも厳しかったです。作った製品についても全部見られましたし、「ここはこうやな」「ここはもうちょっとこうしなあかんな」とも言われましたね。

どんどん覚えていきたい、もっと作りたい、という気持ちがあったので厳しくても頑張ろうと思えました。

「一澤信三郎帆布」の鞄は、1905年に京都東山で牛乳配達袋・酒袋・大工袋など職人用の道具袋を作ったのが始まりです。創業から110年以上を経た今も、一つ一つ手作りで鞄を作り続けています。 「良質の綿・麻帆布をつかって、丁寧な仕事をすること」「長くお使い頂くため、できる限り修理を引き受けること」「京都で作って、京都で売ること」

2人1組で作る

―実際にはどのように作られているのでしょうか。

一澤信三郎帆布の仕事は大概、2人1組でチームを組んでやっています。

ミシンをかけるベテラン職人と帆布に印や金具をつける下職がチームを組みます。

パーツ別に分けて作るのではなく、裁断した生地の状態からお店に並ぶ製品の形になるまで、2人1組のチームで全部作りあげていきます。

実は、ウチには製造マニュアルがありません。これを作りなさいというのはありますが、作りあげるまでのやり方まで規定はありません。

私はちょっと左周りで作りますとか、順番を変えてポケットから付けますとか、ポケットを後から付けますとか。

少しずつやり方が違っても、同じクオリティで間違いがない製品が出来上がるのであれば、やり方までうるさくは言いません。勝手に寸法や形を変える事はしませんが、作り方の手順や縫い方はそれぞれが工夫しながらやっています。

「一澤信三郎帆布」の鞄は、1905年に京都東山で牛乳配達袋・酒袋・大工袋など職人用の道具袋を作ったのが始まりです。創業から110年以上を経た今も、一つ一つ手作りで鞄を作り続けています。 「良質の綿・麻帆布をつかって、丁寧な仕事をすること」「長くお使い頂くため、できる限り修理を引き受けること」「京都で作って、京都で売ること」

―分業制で行う事が多い中、2人1組で作りあげるという事はあまりない形だと思います。

能率を考えるとパーツごとに分業にし、流れ作業にした方がいいのかもしれません。でも、職人が総合的に技術を上げようと思うとパーツごとではなく最初から最後まで全部を作りあげる方が、腕が上がると思っています。

作り手を育てる事、作り手の技術を上げる事、これが大事だと思っているので、あえてそうしています。それに、いろいろな箇所の事を経験しないとそれぞれの難しさが分かりません。

ここはこういう風に、ここはちょっとこんな感じで生地を縫い付ける、など様々な事を習得して一つの技術になっていくと考えています。

―なるほど。確かにそうでないと職人の腕が上がらないと思います。では、素材などに関してこだわっている部分などはございますか。

そうですね。素材に関しては生地をわざわざ特注で縫ってもらっていますし、金具もそうです。

ファスナーの引手に関しては、ウチの職人がデザインした物を作ってもらい、取り付けたものもあります。

メインの素材として綿・麻帆布を使っていますが、どちらも天然繊維です。雨の日や湿気の多い日は、生地がドッと重くなってしまいます。

逆に天気のいい日は、乾燥してパリパリになります。そうなると、扱いにくいですし糸調子も合わせにくくなる。

そういった事は長年やっているので、もう感覚で分かるようになりました。この部分は口で説明できないことです。

「一澤信三郎帆布」の鞄は、1905年に京都東山で牛乳配達袋・酒袋・大工袋など職人用の道具袋を作ったのが始まりです。創業から110年以上を経た今も、一つ一つ手作りで鞄を作り続けています。 「良質の綿・麻帆布をつかって、丁寧な仕事をすること」「長くお使い頂くため、できる限り修理を引き受けること」「京都で作って、京都で売ること」

100点満点はまだない

―32年間働いて来られ、「満足のいく製品が作れた」という実感はおありですか。

いいえ、それはないですね。上手く出来たという事はありますが、100点満点はまだ1つもありません。

もちろん、ウチの製品が悪いという意味ではないですよ。物作りには、ここで終わりという所がありません。

終わりと思ってしまうと、もうそこから進歩していかないと思っています。「上手く作れたな」と思っても「次またもう一つ上手いこと作ったろ」と思うので職人として、自分自身の気持ちの中で満点はありません。

ウチの製品に対しては、帆布製品の中で他に負けない自信があります。自信はありますが、一生修行だと思っています。

「そこで満足せんと次はああしよ、こうしよって思っていつも頑張れ」という風に言われたこともありますし、そうだと思います。

次はもっともっと、上手くしよと思うので100点満点がないんですね。

もうそれで満足しちゃうと、ほんとに下手になっていきますし、作業が適当になっていきます。この気持ちを忘れずに生かしながら、という思いでやっています。

「一澤信三郎帆布」の鞄は、1905年に京都東山で牛乳配達袋・酒袋・大工袋など職人用の道具袋を作ったのが始まりです。創業から110年以上を経た今も、一つ一つ手作りで鞄を作り続けています。 「良質の綿・麻帆布をつかって、丁寧な仕事をすること」「長くお使い頂くため、できる限り修理を引き受けること」「京都で作って、京都で売ること」

―そのような向上心を持てるモチベーションはどこにあるのでしょうか。

モチベーションになっているのは、やはりお客さんですね。

お客さんの顔が見られる距離でいつも仕事をしていますので、一生懸命作った物をお客さんが使ってくださっている所を、見る事が出来るんです。

もちろん、それは自社で製造販売しているからです。もし自社で製造販売を行っていなければ、どこか遠い所で作り、どこか分からない販売所で売ることになるので、どこで誰がどういう風に買って使っているのかが分からなくなってしまいます。

だからウチで全部作り、顔の見える距離でお客さんに買ってもらい、使ってもらう。それがモチベーションに繋がっています。

「一澤信三郎帆布」の鞄は、1905年に京都東山で牛乳配達袋・酒袋・大工袋など職人用の道具袋を作ったのが始まりです。創業から110年以上を経た今も、一つ一つ手作りで鞄を作り続けています。 「良質の綿・麻帆布をつかって、丁寧な仕事をすること」「長くお使い頂くため、できる限り修理を引き受けること」「京都で作って、京都で売ること」

想いが詰まったかばんを作りたい

―では、今後行っていきたい事を教えて下さい。

自分が物を作れる間は、一つでも良い物を作りたいですし、お客さんに喜んでもらえる物を作りたいです。

最近は、別注を頂くことも多くなりました。なので、お客さんの要望に応えられる鞄を作りながら、記念品など想いが詰まったかばんも作っていきたいと思っています。

ウチのかばんにはお客さんの「こんなもん作れへんか?」という要望から一緒に作り、製品になったかばんがたくさんあります。

それは、お客さんがデザイナーだと思っているからです。お客さんの要望を職人の手で具現化する事をこれからもやっていけたらいいなと思っています。

「一澤信三郎帆布」の鞄は、1905年に京都東山で牛乳配達袋・酒袋・大工袋など職人用の道具袋を作ったのが始まりです。創業から110年以上を経た今も、一つ一つ手作りで鞄を作り続けています。 「良質の綿・麻帆布をつかって、丁寧な仕事をすること」「長くお使い頂くため、できる限り修理を引き受けること」「京都で作って、京都で売ること」

織人紹介

北川信一

1962年生まれ。小さなお店を持つことを夢見て、料理店で働く。だが体を壊してしまった事をきっかけに、一澤信三郎帆布で働くようになる。

入社当時はテント作りから始まり、現在では帆布製品の製造に携わっている。入社し32年が経つが、現在も製造部長として活躍しながら若手育成にも力を入れている。

会社説明

株式會社 一澤信三郎帆布

「一澤信三郎帆布」のかばんは、1905年に京都東山で牛乳配達袋・酒袋・大工袋など職人用の道具袋を作ったのが始まりです。創業から110年以上を経た今も、一つ一つ手作りで鞄かばん作り続けています。

「良質の綿・麻帆布をつかって、丁寧な仕事をすること」「長くお使い頂くため、できる限り修理を引き受けること」「京都で作って、京都で売ること」

これが私たちのものづくりへのこだわりです。ごつごつ、さらさら、しんなり心地よい手触り。肩にかけてみたり、手に提げたりした感触。使い込むほどに変わっていく風合いを楽しみながら、末永くご愛好いただければ幸いです。

会社情報

カバン・袋物・帆布加工一式 株式會社 一澤信三郎帆布

Tel:075-541-0436
一澤信三郎帆布webサイト

取材後記

今回は、一澤信三郎帆布の北川さんに取材をさせて頂きました。今回、職人仕事の中にある「感覚」の部分についてお聞きする事が出来ました。やはり、言葉に表すことが出来ない部分も多く、そういった事を教えていく事は難しいのだと知る事が出来ました。

また、素材などに対するこだわりや、お客さんを一番に考えておられる姿勢が素晴らしいなと感じました。今回取材を引き受けて下さり、本当にありがとうございました。

作者情報

編集:西野愛菜
撮影:田安仁
構成:倪

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