漆職人 塗師 西村圭功
漆器を生活の中に
ーどのような仕事をされているのですか。
漆器の仕事は分業で成り立っているので、多くの職人を通って一つの物が出来上がります。まず、ベースを作る木地師、その上から漆を塗る塗師、加飾を施す蒔絵師、大きく分けるとこの3人です。
昔の京都には、武将や天皇などの権力者、いわゆるパトロンがいました。その人達のためにつくるのが職人の仕事でした。今はそういったパトロンが減りましたが、茶道の世界にパトロンが残っており、京都の職人は今でも茶道具を作っています。
うちは私で3代目になり、塗師として職人仕事を行なっています。メインの仕事は、もちろん茶道具です。その中でも棗(なつめ)が多いですね。それ以外にも棚や、炉縁(ろぶち)なども作ります。
現在は西村圭功と言う名前で塗師としての職人仕事と一品物の作品を作る作家仕事を行なっています。
ーなるほど。一般の方向けにブランドを立ち上げているともお聞きしました。
そうです。一般的にうちで作るような茶道具が家庭の食卓で使われることはあまりありません。
なので、もう少し今の生活に漆を取り入れることが出来ないか、と思考錯誤した中で出来たのが”炭研ぎ仕上げ” という技法を用いた、『天雲』というブランドの商品です。
このブランドは私が監修を行ない、妻がプロデュースをしています。主に洋食器を中心に食卓で気兼ねなく使えるものを作っています。後継者を育てる意味もあるので、京都の若手職人に作ってもらっています。
“炭研ぎ仕上げ”という技法は、木地に何層もの漆を施し、表面を炭で研ぎ上げ光沢感のある漆器とは異なり、マットな質感に仕上げています。デザインは、一から考えるのではなく古い物を手本にしています。
骨董には形も使い勝手も良く考えられているものが多く、それらを漆の器で復刻して今の食卓に届けたいと思っています。例えば、干菓子を載せる為の青海盆を炭研ぎ仕上げにしたり、オランダのピュータ―皿を写したものもあります。
初めて漆を触り「これ面白いやん
ー職人になられたのは、家が塗師をやっていたからでしょうか。
父も祖父も上塗りという、漆の一部の工程だけを行なっていました。上塗り仕事では、 漆を塗った上にホコリが入ることを避ける為、部屋を締め切って作業を行います。
なので、 部屋に入れてもらう事すら出来ませんでした。
ですが、後を継いで欲しいと父親は思っていたようで、高校は銅駝美術工芸高校の漆芸科に行くことが小学生の頃から決まっていました。美術は得意ではありませんでしたが、なんとか漆芸科に入学し、そこで初めて漆を触りました。
初めて漆を触り「あれ、これ面白いやん」と思ったことが大きなきっかけになっています。その想いが今でも続いるからこそ、この仕事を続けられています。
ーなるほど。「面白い」と感じた事が現在のモチベーションにも繋がっているんですね。その後は、弟子入りをされたのですか。
高校三年間を過ごした後、父親はいきなり家で修業するのではなく、他所で勉強して来いと考えていました。
卒業後は「三代鈴木表朔」に弟子入りをしました。師匠は、京都で一番の漆職人でもあり、作家でした。9 年間の修業の中で、本当に様々な 事を教えてもらいました。
鈴木表朔という名前は代々継いでいる名前で、本名は「鈴木雅也」と言います。「鈴木雅也」の名前で作家仕事をしており、若い頃から前衛的な事を行っていて、すごく奇抜な方でした。
そういった所に弟子入りをしていたので、基本的なお茶道具はもちろん、アート的な仕事も全部覚えられたので、全て肥やしになっています。
ーその 9 年間で一番印象に残った事や、土台となっている事はありますか。
仕事のベースになっている棗を叩き込んでもらった事ですね。
棗は、400 年以上作り続けられている物なので、過去に良いものがたくさんあります。それと並べても恥ずかしくない物を作らないといけませんし、私も400年後に生き続けているような棗を作っていきたいと思っています。
なので、終わりはありません。
棗に技術の全てをこめる
ー職人として棗を作る上で大切にされている事はありますか。
たかが棗、されど棗なのです。
私はモノを見る時、魂が入っているか、入っていないか、で判断します。その上で、何が違うかが問われます。
世の中にはキレイに出来ている棗はたくさんあります。特に真塗中棗はただ真っ黒で、装飾は一切なし、どう善し悪しを判断すればよいかとなった時、その判断は、どれだけ魂が込められて作られているかどうかだと思います。
私の場合は棗を作るのに1年以上かけて作りますが、撫でまわして塗ったり研いだりするので自分の分身の様になっていきます。そうすることによって、自然と棗からオーラの様なものが出てきます。世の中にある「この棗はすごい」と思うものはすべてこのオーラが出ています。
ーなるほど。作家としては、どのような物を作られているのですか。
「撓め」(たわめ)という仕事を行っています。
京都の木地は薄いことが特徴ですが、それを透けるぐらい薄く木地師さんに挽いてもらいます。その状態で型に嵌め、漆と麻布で塗り固めていき、作品を仕上げていきます。
簡単に曲がるほど薄く挽いた木地でも、木は戻ろうとします。この木が戻ろうとする力と漆が留まろうとする力のバランスで有機的な形が生み出されます。
私の意思も入りますが、私は木地と漆の介助役で、この自然物質がなりたい形を探ってあげる役目だと思っています。「撓め」は作家の意思で形作る乾漆などと違う醍醐味があります。
漆をアートとして
ー海外というのは、どうですか。
海外では日本のものがちょっとしたブームになっていると思います。海外で失われた技術を使って、日本で物が作られています。
漆は特にアジアにしかないものなので特殊です。それらをコレクションしたいと言う動向が高まっています。
日本のもの作りが海外で評価されるのは嬉しい事です。でも、日本の工芸は「ファインアート」と「クラフトアート」の区別が曖昧で、自己の美意識を様々な素材と技法を使って制作する芸術活動と大量生産する雑器、または民藝など、すべてをひっくるめて「工芸」と言ってしまっています。これでは弱くて世界には通用しないと思います。
私の作るものは樹液である漆、そして麻布、山土、今現代においても石油由来のものに頼らず100%天然素材だけで出来ていて、それを使って先人達が築き上げてきた高度な技術で表現する。良いモノが出来ているのは最低条件で、これをどう発信するかが重要だと思います。
ーでは最後に、今後行っていきたい事を教えて下さい。
大変難しいですが、やはり海外に漆を売り出すことです。海外は私にとって魅力的な場所です。
最近気になるのが特に中国。
市場が大きいという事ももちろんあります。ですがそれ以前に、中国は漆のルーツである場所です。もともと漆は大陸から日本に入って来ましたが、今は向こうではすでに技術が廃れてしまっています。
なので、もともと漆の技術があった中国はヨーロッパに比べて意外と受け入れやすいのではないかと思っています。そういった海外の場所に売り出していきたいと思っています。
【織人紹介】
西村圭功
1966年 上塗師 二代西村圭功の長男として京都に生まれる
1985年 京都市立銅蛇美術工芸高校 漆芸科 卒業 三代鈴木表朔に弟子入り
1994年 家業の跡継ぎとして独立
2003年 経済産業大臣指定『伝統工芸士』の認定を受ける
2008年 三代 西村 圭功を襲名 (3代目)
2010年 二人展「楽と漆」 (Espace Culturel Bertin Poireeパリ)
2013年 Collect 2013 (Saatchi Galleryロンドン)
2014年 「素材の美」展(Galerie Marianne Heller ドイツハイデルベルグ)「一器一菓」展(日本橋三越)
2015年 「京漆器展」京都府知事賞「上海クリスティーズ」出展 (中国 上海)
2016年 「京漆器展」京都市長賞 「西村圭功展-塗りたて-」カホギャラリー個展
【工房説明】
西村圭功漆工房
1920年代 初代西村圭功 京都市上京区で創業
以後、上塗り専門の塗師として食器・茶道具を製作。
当代、三代西村圭功は上塗り仕事に加え全行程を習得し、職人仕事に加え作家活動も展開。
特に「撓め」(たわめ)という技法を中心に精力的に活動中。
【工房情報】
西村圭功漆工房
〒603-8151
京都市北区小山下総町16-4
西村圭功漆工房webサイト
取材後記
今回は、初の漆職人さんへのインタビューでした。場所は、大通りから少し入った所でとても静かな場所。こんな場所があるのかと思ってしまうほどの場所でした。
精密に作られた棗や、高い技術の一部を見させてもらう事ができ、圧倒されるばかりでした。
職人としての技術の高さ、作家として表現する情熱を感じました。
作者情報
編集:西野愛菜
撮影:田安仁
構成:倪
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