畳工師 戸田和雄
継ぐことは、親戚会議で決まった
━畳職人として仕事を行うようになった、経緯を教えてください。
この店は、130年余前に畳屋として祖父が始めたのが最初です。2代目が私の親父で私が3代目になります。
初めは継ぐつもりはありませんでしたよ。高校を出た後は、大学に通いたいなと思っていました。
でも、親父は「祖父が始めた店を潰してしまうのは、もったいないしなんとか継いで欲しい」と思っていたみたいです。
なので、趣味で他の事をやってもいいから畳の仕事を手伝う、という約束で高校を卒業した頃から手伝うようになりました。
それが大体19歳くらいですね。それから1年間くらいは、継ぐつもりもなく「手伝い」という形でやっていました。そんな風に手伝っていたらある日、親戚会議が開かれ、誰が戸田畳店を継ぐのか話し合うことになって。
その親戚会議で私が継ぐことが決まりました。実は、本決まりするまで何度も話し合いをしたので、結構時間がかかったんですよ。
━親戚会議で決まったというのはあまり聞かないですね。決まった時に「やりたくないな」とは思わなかったのですか。
ありましたよ。大学に行きたいなという希望はありました。母親は1人息子ですし希望通り大学に行って欲しい、という事で畳屋を高校卒業で継ぐことに反対していました。大学に行って、卒業した後に継げばいいと思っていたみたいです。
でも、親父も祖父も大学に出したがために、就職して継がなかったという同業者の方の話を知っていたので、大学に行く事には反対だったんです。もう、高校卒業で固めてしまおうということだと思います。だから、もうやるしかないなと思って、継ぐ覚悟を決めました。
━なるほど。高校卒業頃で基礎の部分を固めておいた方がいいとは聞きます。では初めは、修行をされたのですか。
いやいや、修行に出なくても家で教えてもらうことが出来たので、家で教えてもらいながらやっていました。丁度その頃が、畳を手編みで編むことから機械で編むようになった切り替えの時期だったと思います。
━丁度転換期だったんですね。教わっている中で厳しいなと感じたことはありますか。
手縫いから機械で縫うようになった切り替えの時期でしたけど、主には手で縫っていました。
初めは、畳を手で縫おうとしても思うように縫えません。畳を縫うためには、専用の針を使います。布よりはもちろん固いですが、布を縫うように針を上げ下げしながら縫っていきます。
縁を付ける時には、大体60回くらい上げたり下げたりしないと付きません。頭では理解できるのですが、やってみると端から端まで上手く縫えないんですね。
初めは、先輩の職人さんの3倍くらい時間がかかっていました。それを何回も何回も失敗をしつつやっていくことで身につけていきましたね。当時は、先輩の職人さんが他にもいたので、その方たちの仕事を見ながら覚えていきました。
畳屋さん同士で手伝い合う
━当時は、どんなことをされていたのですか。
当時は「衛生掃除」という小学校の地区単位で日にちを決めて、一斉に掃除をするという日が決められていました。お天気だと家の畳などを全部外に出して、お陽さんに当て、竹で叩いてホコリを落とし、綺麗になったら自分の部屋に入れる。そんなことをしていました。
その衛生掃除をしている間に「畳を変えて欲しい」と注文をもらう事がよくありました。でも、朝に畳をめくって日暮れには納めないといけないので、ここにいた職人だけでは人が足りなくなるんです。
そんな時は、少し離れた所の畳屋さんに頼んで何人か手伝いに来てもらっていました。そうすることで他の畳屋さんにも仕事が回りますし、人数が増えた分、仕事が早く出来ますよね。
━確かにそうですね。畳屋さん同士で協力しあいながら仕事をしていたということでしょうか。
そうですね。需要があったからだとは思いますけど、畳屋さん同士で行う仕事も交流もありました。逆に、こちらが手伝いに行くこともありました。手伝いに行くとその分、数をこなせるので、早く仕事を覚えられますし腕が上がっていきます。
そういった所は、とても勉強になりました。他にも、古い畳を訓練台にして練習をよくしていました。上手くいった物は、時々安く売ることもありましたよ。
━反対に現在は、どうでしょうか。
昔は、一般家庭で親から畳屋さんはここ、舎監屋さんはここ、という風に教えられていました。ですが、最近の若い人はそんな事を教えてもらってないんです。
だから、畳が傷んだ時にどこの畳屋さんに行けばいいのか分からないという人が多い。そういう人は、「畳が傷んだから畳屋さんを紹介して欲しい」と工務店にお願いして、工務店から私ら畳屋に連絡が来ます。そこからお宅を訪問し、どこが悪いのか見ながらアドバイスをしたり、直したりしています。
畳で何か新しいものを
━今後取り組んでみたい事はありますか。
工房にある正六角形の畳のイスも私のアイデアなんです。四角のパックを三角にして、その中に発泡スチロールをつめ、縁で固定して作ってあります。何度も改良して作っているので、すごく手間がかかっていますよ。
あとは、畳のコースターも。これは、祖父が暇な時に、畳の切れ端を使ってトイレの敷物を作っていたのが最初のアイデアです。これを元に、畳のコースターを作りました。茶碗や植木鉢の台として使ってもらえますし、陶芸家さんが展示会をする時にも使ってもらっています。
大小様々な大きさが作れるので、いろんな使い方が出来ると思います。小さい物でもいいので、今後も畳を使って何か新しいものを作っていきたいなと思っています。
【織人紹介】
高台寺御用達 畳1級技能士
戸田和雄(79)
昭和43年 畳1級技能士
昭和44年 職業訓練指導員免許
平成19年 伝統工芸師 畳工師
【工房説明】
戸田畳店
明治19年 初代が戸田畳店を開業
昭和36年 2代目が襲名
昭和41年 3代目が襲名
【工房情報】
戸田畳店
〒605-0811
京都府東山区大和大路四条下る4丁目小松町140
作者情報
編集:西野愛菜
撮影:田安仁
構成:倪