100年以上語られる仕事


京瓦職人 浅田晶久

小学校6年生の頃に瓦屋か、設計関係の仕事をしたいなと思いました。ここ「浅田製瓦工場」は明治44年祖父が創業し、私で3代目になります。

子供の頃から瓦職人の仕事を見ていた

━早速ですが、瓦職人として仕事をされるようになった経緯をお聞かせください。

小学校6年生の頃に瓦屋か、設計関係の仕事をしたいなと思いました。ここ「浅田製瓦工場」は明治44年祖父が創業し、私で3代目になります。

なので、父親が瓦職人として仕事をしているのを子供の頃から見ていたので、小学生の頃にそう思ったんですね。子供ながらも「この仕事いいな」と感じていました。その後、本格的に瓦の事を知りたいと思い、大阪工業大学の建築科に入学しました。現在は、いぶし瓦全般の製造販売、屋根工事などを行っています。

━職人さんで大学まで行かれている方というのは、珍しいと思います。大学に行かれたのは、なぜでしょうか。

建築を学びたいという想いもありましたが、コネクション作りでもありました。瓦職人になるにしても、建築関係の仕事をするにしても、その方面の友達がいた方がいいと思い、大学に行くことにしました。

大阪工業大学の卒業者で、設計士になる人は何万人といます。一方で、瓦職人は高齢の人が多く、あと10年ほど経てば職人がいなくなるという現状でした。そんな現状を目の当たりにし、「若い私が瓦職人をやらないと瓦の技術が消えてしまう」と思ったので、就職活動もせず家業の浅田製瓦工場に入る事にしました。

なので、大学を卒業してから瓦職人一筋です。

小学校6年生の頃に瓦屋か、設計関係の仕事をしたいなと思いました。ここ「浅田製瓦工場」は明治44年祖父が創業し、私で3代目になります。

━なるほど。では、浅田製瓦工場に入られた初めの頃は、どんなことをされていたのですか。

入ってから1年半は仕事を任せてもらえませんでした。その代わりに親方が仕事をしている姿をずっと見ていましたね。私の親方は「あれせい、これせい」とは言わなかったんですよ。昔ながらの親方だったので、「見て盗め」としか言いませんでした。

その時は、なぜ何も言わないのか不思議に感じてましたが、私が教える立場になり、親方が何も言わなかった理由が分かりました。それは、例え言ったとしても意味が通じないからです。親方と同じレベルまで技術が達していなければ、教えてもらっている者には何を言われているか分からないんですよね。

だから、聞いてきた事に対しては答えますが、聞かれていない事までは言わない、ということだったのではないかと思います。

どういった風に作業をするのか、見て覚えるようになり1年半ほど経ってからやっと「何かさせて欲しい」と言ったんですよ。そこから、少し作業をさせてもらえるようになりました。

早く1人前になりたいと思っていたので、出来ることから何でもするようにしていました。一般的に技術の習得には、10年程かかると言われますが、私にはとにかく時間がなかったので、なんとか5年で習得しようと頑張っていました。
なので、他の職人さんが8時間労働をしている中で、私は倍の16時間働いていましたね。そうする事で、10年を5年に何とか縮められないかなと必死でした。

━それだけ詰めて働かれていると、しんどいと思われる事はなかったのでしょうか。

当然しんどいですよ。でも、しんどくてもやらないといつまで経っても身につきません。もちろん、挫折することもありました。でも自分の最終目標が何か、という事さえ分かっていれば、何とでも出来るのではないかと思います。

気分転換をして、初めからやろうという気になれますしね。

小学校6年生の頃に瓦屋か、設計関係の仕事をしたいなと思いました。ここ「浅田製瓦工場」は明治44年祖父が創業し、私で3代目になります。

多くの瓦は機械で作られるように

━では、現在の瓦職人さんの状況について教えてください。

最近では、できるだけ作業を省いて安く作ろうとする動きがあります。昔であればプロの屋根瓦葺き職人さんでなければ葺けなかったのですが、安くかつ簡単な瓦になってきたので、素人の方でも葺けるような瓦です。

━なぜそのような動きになっているのでしょうか。

コスト的な話ではないかと思います。安く仕上げようとするのであれば、できるだけ職人の手がかからないようにしたいという事でしょう。また、瓦職人の数も減っているので、機械で作るようになりました。

今は、機械が自動で製造してくれます。つまり、瓦製造工場で粘土さえ機械にセットしておけば、後は任せておけば瓦は作れてしまうんです。瓦製造工場で瓦職人が必要ではなくなったという事です。

代わりにどんな人が必要かと言うと、電気・機械関係の技師です。それだけで瓦は作れるんですよ。

小学校6年生の頃に瓦屋か、設計関係の仕事をしたいなと思いました。ここ「浅田製瓦工場」は明治44年祖父が創業し、私で3代目になります。

━流通している瓦のほとんどがそういった作り方の瓦なのでしょうか。

そうなります。ほとんどが機械で、どうしても機械で作れない特殊な形だけ手で作っています。でも、そういった特殊な形も機械で作れるようにと一生懸命開発しているみたいです。私はそれくらい手で作ればいのではないか、と思うのですが難しいところです。

手作りと機械で作った瓦で何が違うのかと言うと、手作りの方が精密だということです。手作りだと屋根を葺いた時に一つ一つの瓦で違いが生まれないように、見た目が整い長持ちするように、作ってます。

でも、機械で作るのはそうではない。とにかく、安い価格で瓦が出来ればいいという考え方の元に
機械で作られたので、品質があまりよくありません。

瓦を作る時に曲げる部分があり、曲げる場所も決まっています。でも、機械で曲げやすいように曲げる場所を数センチずらす、といった事が平気で行われています。
一つの瓦として考えた時には、ずらす事はいけないだろうと思うのですが、他の職人がそれでいいと言っているのでもう私は何とも言えません。

小学校6年生の頃に瓦屋か、設計関係の仕事をしたいなと思いました。ここ「浅田製瓦工場」は明治44年祖父が創業し、私で3代目になります。

100年、1000年と残されるもの

━そういった中でも、浅田さんは手作りの瓦を作り続けていらっしゃると思います。瓦職人として瓦を作る魅力はどのようなところにあるのでしょうか。

魅力はいっぱいありますよ。特に、私が死んでも品物が残るということですね。鬼瓦になると、年号や名前も瓦の裏に書きます。
だからもし私が死んでも「ああ、こういう人がいたんだ」ということが100年、1000年と残るんですよ。それがすごく魅力的です。

━そういった中でも、浅田さんは手作りの瓦を作り続けていらっしゃると思います。瓦職人として瓦を作る魅力はどのようなところにあるのでしょうか。

これから新たに作ってみたい物は、食器ですね。瓦で食器を作る。シルクスクリーンを使って物を作ったこともあるので、シルクスクリーンで食器を作ってもいいと思います。
食器のほかにもインテリアなど、今後は瓦の素材を使い他の分野の物を作っていきたいです。

小学校6年生の頃に瓦屋か、設計関係の仕事をしたいなと思いました。ここ「浅田製瓦工場」は明治44年祖父が創業し、私で3代目になります。

【織人紹介】

浅田晶久

伝統の引っ掛け桟瓦で通産大臣賞を受賞した父・良治氏を継いで京瓦窯元の三代目となる。大阪工業大学で建築を学んだあと、23歳で家業を継ぎ瓦造りを本格的に始めた。適度に自由な創作が可能な鬼瓦造りを専門とする。
従来機能美に近かった瓦の伝統技術を独創的な物造りに活用している。 町家の屋根にいる魔除けの鍾馗さん、元々は鬼瓦の一部として造った干支・家紋瓦の置物、 重厚な行燈調の照明などは美術品のテイストを漂わせる。

【工場説明】

浅田製瓦工場

業務内容:いぶし瓦全般(社寺瓦・簡略瓦・鬼瓦・特殊瓦)製造販売。屋根工事施工。
創業:明治44年12月(1911年)

【工場情報】

浅田製瓦工場

住所:京都市伏見区
お問い合わせ:0120-006-546
浅田製瓦工場公式サイト「京瓦.com」

作者情報

編集:川元楓
撮影:田安仁
構成:倪

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