金彩加工職人として


金彩加工職人 石田健司

石田健司 1965年滋賀県守山市生まれ 1984年芦田金彩工芸に入社。芦田俊明氏に師事し、京友禅金彩の仕事に就く

手しごとに夢中になった

━金彩加工にたずさわるようになった経緯を教えてください。

昔から画を描くのが好きで、高校を卒業してグラフィックデザインの専門学校に通っていました。ただ、専門学校は途中でやめてしまったんですけどね。そのあとは、アルバイトとして鉄工所やガソリンスタンドで働いていました。

今でいう、フリーターみたいなものですかね。ある時、親戚の人からの紹介で「金彩京友禅を見に行ってみないか」と誘われたんです。「京友禅」という響きと「職人」というイメージに憧れがあり、見に行ってみることにしました。

画を描くのが好きだったし、手先を使う仕事がしたいと思っていたので、漠然とはしていましたが、これだと思い弟子入りすることを決めてしまいました。親戚の人も京友禅の金彩の職人でした。

━なるほど。仕事場は当時どんな様子でしたか。

当時、仕事は朝から夜遅くまでやっていて、先輩が4人いました。朝から仕事にとりかかって、18時に晩ご飯を食べる。その後また仕事をして、24時を過ぎるのがほとんど毎日でした。

入って3か月は見習い期間でしたね。なので、まずは正社員にしてもらうために、必死になって仕事をやっていたのを覚えています。必死だったのでその3か月はあっという間に過ぎてしまい、過ぎた頃には無事正社員にしてもらうことができました。

石田健司 1965年滋賀県守山市生まれ 1984年芦田金彩工芸に入社。芦田俊明氏に師事し、京友禅金彩の仕事に就く

━知らない世界に飛び込んでみて、難しく感じませんでしたか。

とにかく最初は必死でした。やったことのない作業ばかりでしたが、やることなすこと面白かったです。なので、この仕事は天職だと感じました。

最初の頃は、布に貼ったマスキングテープをカッターで切る作業を何度も何度も練習していました。刃先は布にわずかに当たっているけれど、切るのはマスキングテープだけです。

最初の頃は、上手くはありませんでしたが、慎重だったので失敗することはありませんでした。でも、上手出来るようになった頃に、失敗することが増えました。

上手くなってすいすいとやれるんですが、途中でつい切り過ぎてしまったりするんですよ。その頃になって、難しさを感じるようになりましたね。

石田健司 1965年滋賀県守山市生まれ 1984年芦田金彩工芸に入社。芦田俊明氏に師事し、京友禅金彩の仕事に就く

布を金で彩(いろど)る仕事

━金彩には、どのような作業で、どんな技法がありますか。

大きくは5種類です。摺箔(すりはく)、切箔、押箔、金くくりと呼ばれる筒描き、あと最後に、金砂子ともいう振り金ですね。振り金は、柄の背景やあしらいとして、ぼかしたり、モヤに振ったりしながら、強弱や明暗をつけます。

技術のやり方として、振り金なら、こうゆう角度で、これくらいの量でこんな仕上がりと見せて説明がしやすいです。筒描きは、均一な幅で直線やきれいな曲線を描かないといけない。

白い輪郭線を金で起こすことで柄をはっきりさせる技法ですが、三角の筒紙から金を混ぜた糊を口金から絞りだしながら描くので、見せることはできますが、口で説明するのが難しく、手先の感覚なので実際にやって自分で技術を身に付けていくことになります。

振り金も、他の人はああゆう感じで振っているんだと真似をしてみたり。できるようになることが、職人の技になりますね。

石田健司 1965年滋賀県守山市生まれ 1984年芦田金彩工芸に入社。芦田俊明氏に師事し、京友禅金彩の仕事に就く

━言葉にできない仕事を経験することで理解し身に着けることが、職人の世界で大事なことかなと感じています。それは、器用じゃないとできない仕事だなと感じるのですが、どんな人が金彩のお仕事に向いているのでしょうか。

ぼく自身は、いわゆる接客や人と喋るのはあまり得意ではありません。器用さも確かに必要ですが、ずっと座ったまま仕事をするので、まずは長時間じっとして作業できないと難しいかもしれませんね。

長い時間作業するには、やはり集中力が必要になります、器用さ以上に必要です。確かに、長時間作業することは気長な人のほうが向いているかもしれません。

ただ僕自身の性格としては、気が短いです。短気だからこそ、いろいろと試行錯誤できるのかもしれません。

━なるほど。では、大変だと感じることはどんなことでしょうか。

ふだんは、得意先である染匠さんや問屋さんからこんな加工をして欲しい、と依頼されて仕事をしています。ですが、どうしても短い納期であったり、時間のかかる依頼であったりします。

そんな仕事でも、もちろん速く、きれいに仕上げないといけませんません。なので、それが続くと、徹夜だったりするので、その部分は大変ではありますね。例えば、夕方に来て翌朝までにどうしても欲しい、という場合もあったり。間に合わせるためなら、徹夜でもやりました。

20代の頃が一番仕事量が多く、次から次へと仕事が来ていました。30年くらい前までは、業界もすごく景気が良かった。高いものから、売れていくような時代でしたし、その分の需要もありました。

金彩をふんだんに入れた品物が多かったです。だんだん仕事量が減ってきているので、その所はしんどい所ですね。

石田健司 1965年滋賀県守山市生まれ 1984年芦田金彩工芸に入社。芦田俊明氏に師事し、京友禅金彩の仕事に就く

時代の趨勢と金彩の技

━お仕事の量が減りだしたのはいつ頃からでしょうか。

平成になって、1990年過ぎたくらいからでしょうか。いわゆる、バブルの時代が終わりかける頃だと思います。そこから、だんだんと減ってきました。2000年くらいになって激減したように思います。

━お仕事の量が減る中でどうやって続けられたんですか。

最初はいわゆる金彩だけをやっていました。仕事が減ってくる中で、画も描けないか、と聞かれることがあって。
それ以前に師匠である先生から「画は描けないといけないよ」と言われていて、仕事をしながら画を習いに行かせてもらっていました。

いまや金彩単体だけの仕事は少なくなり、画と金彩を組み合わせた仕事が多いです。ぼくの場合は、元々、画を描くのが好きで得意だったので、ありがたいお話しでした。着物だけだったら、金彩の仕事で喰えていないかもしれません。

高いものが売れなくなりましたし、海外製の京友禅も出てきたり、インクジェット・機械捺染のものも出てきています。まだ貸衣装屋さんが多いですが、今後、振袖もそれがメインになるのかもしれません。

いまは、家内にも手伝ってもらいながら、仕事をこなしています。

石田健司 1965年滋賀県守山市生まれ 1984年芦田金彩工芸に入社。芦田俊明氏に師事し、京友禅金彩の仕事に就く

職人として暮らしていく方法

━仕事を続けていく魅力とは何だと感じますか。

出来上がりのイメージに対して、どうゆう風に技術を当てはめていくかが醍醐味です。単に金を入れると派手になりすぎるので、友禅とバランスを考えながら、どうゆう風にすれば引き立つのかを考えてやるのが、難しくもあり、魅力でもあります。

思案や技術がはまって仕上がると嬉しいし、取引先にも「ええなあ」と言ってもらえると安心します。なるべくいつも、「ええね」とゆってもらえるように、工夫しています。

━では最後に、今後取り組んで行きたいことを教えてください。

基本的には手作業のものなので、手間をかけた値段で売れるかどうかが重要です。ぼくは職人で、率直に言って、販路も売り先もありません。

現状やっている所から、幅を広げていきたいと考えています。用意してもらった品物に対して、そこにこういうことができますよ、という積極的な提案することで、幅を広げてきました。

以前であれば金彩だけを行っていました。ですが、画を習いに行かせてもらった機会にも恵まれ、自分が好きなこともあって、今は友禅のように描くこともやっています。描けるものも増えています。

運も良かったのかもしれないですが、そうやって技術と修練のかけあわせで、楽しんで仕事をやっていきたいと思っています。

石田健司 1965年滋賀県守山市生まれ 1984年芦田金彩工芸に入社。芦田俊明氏に師事し、京友禅金彩の仕事に就く

【織人紹介】

石田健司

1965年滋賀県守 山市に生まれ
1984年芦田金彩工芸に入社。芦田俊明氏に師事し、京友禅金彩の仕事に就く
2009年伝統工芸士に認定 される(経済産業大臣指定伝統的工芸品 京友禅手描部門)
2012 年芦田俊明氏から引き継いで、芦田金彩工芸の代表に就任

【工房説明】

芦田金彩工芸株式会社

1968年創業
1982年株式会社化

金彩 とは京友禅の加工工程のひとつで染上がった着物の柄に、
より豪華さを出 すために金を施 していく加工方法です。
着物の加工だけでなく、法衣袈裟、工芸品の金彩加工も手掛けています。

【工房情報】

芦田金彩工芸株式会社

京都市中京区西ノ京上平町 68-1
TEL(075)802-3885 FAX(075)802 -3878

作者情報

編集:岡田
撮影:田安仁
構成:倪

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