鏡師 山本晃久
きっかけはアルバイトとして始めた事
―初めに山本合金製作所で職人として仕事を始めるきっかけを教えて下さい。
もともとは、鏡の仕事に興味がありませんでした。「物を作っているんやな」とぼんやり思っていたという程度です。でも、大学に進学した時にアルバイトで、鏡の仕事を行うようになりました。
好きな時間に来たらいい、と言われていたので大学の授業の空き時間に行っていましたね。きっかけはそのアルバイトで始めたことです。4年間アルバイトとして手伝い、就職活動もしたのですがやりたい仕事も見つからず。
それならと思い、大学を卒業してすぐ鏡の仕事を本格的にやり始めたという形です。初代が江戸末期の慶応2年なので、僕で5代目になります。
―なるほど。アルバイトという形で初めて触れられたのですね。
そうですね。あまり興味もなかったので、それまでは手伝いも全くしていませんでした。祖父は鏡作りの仕事を絶やさない為に継いで欲しい、と思っていたみたいです。
でも、あえてそれは口にしませんでした。他に向いている事があるかもしれないのに「長男だから継げ」みたいな事を言われると、反発すると考えていたみたいです。
そんな事を言われることもなく、フラットな状態で接し「これいいな」と自分自身が思い鏡の仕事を始めましたね。なので、途中でこの業界が駄目になっても人のせいにできないです。そういった意味では、自分で覚悟を決めて入りました。
物づくりのおもしろさ
―鏡の仕事のどういった所に興味を待たれたのでしょうか。
「物づくりの面白さ」ですね。よく、「手先器用ですね」と思われますが、実は器用ではありません。だから、そういった職業には就かないだろうなと思っていました。
でも、ルーティーン作業は得意だと思っています。不器用ですけど、同じ作業を繰り返してやることである程度、出来るようになっていく。同じ作業をする中でも、ちょっとした上達や向上の喜びが得られるのが凄く楽しいなと感じています。
物づくりというのは、作った人もそうですし、手を抜いた所もはっきり出てきます。横着をして作業を省いてしまうと、汚くなってしまい時間がかかってしまう。横着してしまいそうになる所をこらえて丁寧にやる。逆に丁寧過ぎても駄目ですが、プロフェッショナルな仕事として技術のバランスというのは、物づくりでは重要だと思っています。
―確かにそうだと思います。丁寧にやりすぎてしまうと仕事にならないですし、横着になってしまっても仕事にならない。
僕らは、職人なので、しっかりとしたものを作らないといけない仕事です。例えばある物を作るのに3日かかっても、1日しかかからなくても、対価は同じです。なので、自分の対価をあげる為には、作業時間を短くするしかありません。時間との競争です。
だからって手を抜いていいという訳ではないので、手を抜かずに時間を短くするには、技術を上げていくしかないんですよね。丁寧にやりながらも自分がいかに技術を上げていくか。それが重要だと思います。
―なるほど。では、この仕事の魅力はどういった所でしょうか。
魅力はご神鏡として人々のより所になる物を作れることです。皆さんから大切な物として扱われる物を作っている、ということは嬉しいことです。
大切にして頂けるので、何十年何百年と残る可能性があります。作った物が残るということは、プレッシャーがかかることではあります。
ですが、すぐに壊して無くなる物ではないですし、曇ったりしたのであれば修理に出して直せばいい。そういった物を作れる事は、普通ではないと思いますし、魅力的な仕事だと思います。
社会と関わること
―現状としては、職人さんの数も減ってきていると思います。これから鏡の技術を残していくには、どうするべきだと考えておられますか
僕らの業界は、大きく言うと金属工芸になります。金工の業界というのは、明治時代が全盛期だったと言われています。その理由は、物づくりにかけた時間に見合った対価を頂け、流通していたからではないでしょうか。
僕は、時代によって職人の役割があると考えています。今までの時代の役割は、腕の良い職人になる事。でも僕らの時代は腕が良いことではなく、社会と関わりながら鏡の技術の可能性を発信し、次の世代が職人として食べて行ける環境を作っていく事だと思っています。
勿論、技術は上げていきたいですが腕のいい職人になりたい、とはあまり思っていません。この技術を長く続けていくには、様々な発信や、新しい取り組みをしていかなければいけません。そうすることで次の世代にこの仕事を続ける環境が作れると考えています。
―具体的にはどのような事を考えておられるのですか。
具体的には、まず人々に知ってもらい、社会と関わっていくことだと思っています。それが僕らの中では一番の課題です。世の中のほとんどの人が鏡を作っている職人がいる事を知らないと思います。
認知度が低いと、仕事として選ぶ選択肢に入ってきません。なので、まず知ってもらう事が最初のステップです。
代を継ぐ息子がいても継がせないのは、他で働いた方が稼げるからです。でも、そうならいような環境を作るのが僕らの世代の役割だと思っています。
僕らの父親の時代は、仕事が多かったので、休みの日もなくがむしゃらに働き、技術をどんどん上げていった。でも、僕らの時代になって仕事が減ってきてしまった。じゃぁ、どういう風にやればいいのか、次の世代にどんな環境を残していくか、それを考えるのが僕らだと思っています。
作り手と伝え手
―では、最後に今後の目標を教えてください。
理想の職人像は使い手に依頼された物を作り、喜んでもらう。そして、その過程で技術を上げていくという形です。
職人は作家ではないので、物づくりに専念しないといけないと思います。その為には職人つまり「作り手」の発信をする「伝え手」の存在が必要です。現在は、作り手が表に出て発信をするという場合が多いのですが、やはり職人は発信することが苦手です。
なので、発信の部分を担う「伝え手」という存在が必要です。作り手と伝え手は、しっかりコミュニケーションを取りフラットな関係性の中で情報共有をする。その上で、作り手は技術で答える。
そういった関係性を作ることで、物づくりに関わりやすくなると思います。そうすることで鏡の技術を残していくのが僕の目標です。
【織人紹介】
鏡師 山本晃久(41)
1975年京都生まれ。国内で数少ない手仕事による和鏡・神鏡・魔鏡を製作する山本合金製作所に生まれ、大学を卒業後、家業に入る。
祖父、山本凰龍に師事して伝統技法を受け継ぎ、全国の社寺の御霊代鏡や御神鏡の製作や博物館所蔵の鏡復元に携わっている。2014年、安倍首相がバチカン訪問時にローマ法王に献上した切支丹魔鏡の制作にも携わる。
【工房説明】
山本合金製作所
京都の金森家に師事していた初代石松が、慶応二年京都で創業。全国各神社のご神鏡を製作、鏡作りの基礎づくりに精進する。
三代目真治は文化庁より無形文化財に選択され、昭和49年に、日本古来の技術である魔鏡づくりを半世紀ぶりに復活させた。さらに8年近い歳月をかけて歴史的に謎とされていた隠れキリシタン鏡の所在をつきとめ、その復元に成功。
2014年、安倍首相のバチカン訪問時、ローマ法王に献上された。現代では古代技法である真土型鋳造法を 伝承する京都で唯一の工房である。
【工房情報】
山本合金製作所
住所:〒600-8837京都府京都市下京区夷馬場町6-6
電話番号:075-351-1930
作者情報
編集:西野愛菜
撮影:田安仁
構成:倪