描くことに生涯を捧げる下絵職人 猪原啓三


絵を描くのが好き

―下絵職人の仕事を始めたきっかけを教えてもらってもいいでしょうか。

手描き友禅の仕事を始めて52年経ちます。私の父が、着物の金彩加工をしていて、小学生の頃はその姿を見ながら育ちました。やはり見ていた事が自然と勉強になったのかいつの間にか絵を描くのが好きになり、この道に進むことにしました。美術系の学校に通い、美術課程で日本画を学びました。

―なるほど。絵を描くのが好きとおっしゃいましたが、どういった所が好きなのでしょうか。

どんなに難しい商品や繊細なものが来ても、嫌にはならないです。むしろ、面白い。見た目は同じような柄でも、着物の絵柄には先人が遺した多種多様な文様があります。そこに私の持っているできる限りの力を出したいと思い描いています。好きだけでは難しく、大変深いものがあると感じています。
私たち職人は、発注元がありその方と話し合いながら着物を仕上げていきます。なので、それぞれの工程の職人が自らの分野で努力をしています。

雛形にも鮮明に柄を描く

―仕事としてくるのは、問屋さんなどからの注文がほとんどと聞きます。

そうですね。ほとんどが問屋さんや悉皆屋さん(しっかいや)からの注文です。仕事の数は、全盛期の10分1以下です。また、最近はインクジェットが主流になってきました。あと10年もすれば高齢化で職人も少なくなり、手描きがなくなるかもしれません。

―注文が入り、その後下絵ができあがるまではどのように進められていくのでしょうか。少し教えてもらえると嬉しいです

まずは、「雛形(ひながた)」と呼ばれる着物の形を縮小した紙にイメージしている柄を描いていきます。柄のイメージは注文先が、「こんな柄がいい」と資料を持って来られる時もあれば、口頭だけで伝えられる時もあります。多くの場合、雛形は大まかにしか描かないのですが、つい私は凝ってしまい時間をかけて細かく鮮明に描いてしまうんです。
その後、注文先と打ち合わせを行い訂正があるか話し合います。そして、初めて生地に柄を描いていきます。いきなり描くのではなく、薄青花でアタリを付けてから描いていきます。ちなみにですが、最近は生地に描くことも少なくなってきました。ほとんどの場合柄を図案として残していくため、紙に描いて欲しいと言われます。今後、下絵職人がいなくなってしまった時に図案を利用していくためです。

―手描きからインクジェットへ変化し、生地から紙に描くようになり、それでも「手描き」として心がけていることは何かありますか。

ただ柄を描いているだけに見えますが、時代によって柄は変化してきました。花びら1枚1枚を鮮明に描いているものが好まれる時代もあれば、省略して描いているものが好まれる時代もありました。流行に合わせて新しい柄を考えていかなければいけません。そのため、常に柄のことばかり考えており、自然と案が浮かぶ瞬間もあります。

下絵を描く染料「青花」

―今では、化学青花で描いていると聞きました。

そうですね。まず本青花は水につけると消えるので、下絵を描く染料として古くから使われていました。現在は化学青花が主流になっていますが、昔は青花紙を使っていました。青花紙は、和紙に青花の染料を染み込ませた状態で販売されています。これを作っている所が滋賀県草津にありますが、もう1軒しか残っていないと聞いています。

―なぜ、青花紙ではなく化学青花を使うようになったのでしょうか。

青花紙で描くと、トラブルが多く起きてしまうんです。下絵を描いた後に「糊置き」という工程があります。青花紙で下絵を描き糊置きをすると下絵の部分が黄色く残り、後々その黄色の部分が出てくることがあります。また、青花散らし(糊置が完成し、下絵で描いた青花を落とすこと)の時に青花が残ってしまう事もあり、それが地染をした時にムラになる原因になってしまいます。そういったことが欠品につながる場合が多く怖いので、化学青花を使うようになりました。反対に化学青花は蒸しで完全に消えてしまうのでトラブルになることが少ないんです。

苦しい時ほど努力が大事

―職人になられるために修行をされた経験もおありなのでしょうか。

6年間修行をしました。父が5年で一人前になるように修行させて欲しい、と下絵の先生の所にお願いに行ったのが最初です。その頃は景気が良い時期で、「京都で手描き友禅の仕事をしていれば食いはぐれがない」と言われていたくらいです。描くことが好きでない人も親が先生にお願いをし、門下生にしてもらうこともありました。

―修行期間が終わり独立をされてから、仕事は順風に進んでいったのでしょうか。

いいえ、順風にはいきませんでした。苦しい時の方がむしろ多かったかもしれません。その苦しい時に自ら考えてどう動くか、努力するかが必要だと思っていました。なので私はオリジナルの柄を描いて、問屋さんなどに持って行くなどしていましたよ。

―では最後になりますが、52年間下絵の仕事をされて今後はどういった風に考えられておられるのでしょうか。

下絵の仕事が何歳まで続けられるかですね。出来るだけ現役でいたい。健康に気を付けながら、できるところまでやろうと思っています。

————————————————————-

【プロフィール】
下絵職人 猪原啓三(いのはら けいぞう)
手描き友禅下絵業
1946年岡山に生まれる
日吉ヶ丘高校美術コース 日本画科卒
杉浦桃山門下生として下絵の修行に入り6年後独立し、現在に至る


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です