天然の藍染を守り続ける藍染師 藍染職人 中西秀典


文献を見ながら手探りで始めた藍染

―天然の藍にこだわり、藍染をされているとお聞きしました。小さい頃から藍に触れてこられたのでしょうか。

祖父の代で絞り屋を、父の代で藍染製品製造卸会社をしていました。僕は、ものを作るのが好きだったので電気関係の会社で仕事をしていて。休みの日に手伝いをしたり、年に何回か父の会社の方が藍の産地徳島に行くときはついて行ったり。そうしているうちに「藍」に惹かれていきました。そこから天然の藍を作る徳島の藍師(藍の葉からすくもを作る人)「佐藤」を師事するまでになっていきました。

―一度は就職をされて、その後藍染の世界に入られたのですね。

そうですね。そのうち、やはり息子がしなければ途切れてしまうということ、やるのであ れば一から学び古来の正しい方法を行える職人になりたいということで電気の会社を辞め、本格的に藍染を始めるようになりました。ただ、「染める」ということになると見せてはもらえますが、誰も最初は教えてくれません。「この時どうするんですか?」「いや、それはうん」という会話が繰り返されるばかり。そして、正確な本もなければ教科書もない。なので、どんな風に佐藤の兄がやっているのかを見ながら、昔の文献も参考にしつつ手探りでやっていました。本藍染雅織工房は、父の会社の一部としてスタートし、その後独立したという形です。

毎年変化していく「藍」

―「藍」は、ジャパンブルーと言われるほど、日本を代表する色であると思います。

そうですね。ジャパンブルーと言われるくらい日本人が好む色であり、日本の生活になじ み深い色でもあります。また、たくさんの染料があり染められた物が数多くある中で、藍で 染められた物は、時間が経っても色がしっかり定着しているもの。そういったものが染められる職人になりたいなぁ、と思っていました。

―確かに、古道具屋さんなどでもよく見かけますね。私も体験で藍染をしたことがありま すが、深みのある青というか。まるで刻々と変化する空のように濃淡のある色だと感じています。ご自身で学ばれる中で、藍のどういった所に引き込まれていかれたのでしょうか。

ちゃんと藍を発酵させてやり、うまくいけばきれいに染まりますし、手を抜けば抜いた 分だけ染める時に苦労します。やはり、そういった部分が一番の難点かもしれません。発酵 をさせる時は大体3~4時間おきにかき混ぜ、発酵をさせます。例えば用事があるからと1日混ぜなかった日があったとします。そうすれば、発酵が中途半端な状態になってしまい、 染めあがる色が薄かったり変な色に染まってしまったりする。だからこそ、毎日毎日かき混 ぜ、様子を見るようにしています。

―毎日毎日変化するというのは、生きているかのようですね。なぜ、それほどまでに変化 をするのでしょうか。

それは、藍の葉っぱからできているからです。日が多く差した、雨が多い、など天候によって葉っぱ自体が変化します。徳島で父や兄が葉っぱから染料を作っていますが、葉っぱが違えばそこから作られる染料も毎年変わります。なので、年が変われば一から勉強のしなおしです。また勉強をして一番いい時が、やっぱり染料が変わる直前。うまいこと使えた、と思った途端に新しい染料になってしまうんですよね。なので、その年の染料をどれだけ早くつかめるかは、経験です。「昔こんなんあったな」という経験を元につかんでいきます。日々同じ物を染めるのでなく、色々な染め物をどのように染めるかという経験を積めば積むほど、いい藍の色が出せるようになるのではないでしょうか。

天然染料と化学染料

―藍には、天然染料のものと化学染料のものがあると聞きました。

そうですね。日本では飛鳥時代ごろから天然藍染が行われており、その歴史は古いです。タデアイというタデ科の植物の葉っぱを発酵させ、「すくも」という染料にします。その「すくも」と「灰汁(あく)」「ふすま(小麦の皮)」「石灰」を混ぜて発酵をさせ、できた液の中で染めていきます。この染色方法を、「天然灰汁醗酵建藍染(てんねんあくはっこうだてあいぞめ)」と言い、化学染料を一切使わない、日本固有の天然の藍染と言えます。
(本藍染雅織工房では、徳島の佐藤家で作られた古くからの一級品種白い花を咲かすタデアイ「白花小上粉(しろばなこじょうこ)」から作られるすくもを100%使用し、染めている)

―なるほど。天然だからこそ、何度も染めなければ色が定着しませんが、深みのある色をだせると思います。化学染料、化学助剤はどのように広まっていったのでしょうか。

明治時代にインド藍が輸入され、日本の環境下では化学助剤が使われるようになりました。また、ドイツでは化学染料(同じ意味として「合成インディゴ」と呼ぶことが多い)が開発され、インド藍や還元剤、化学染料を利用すると、安価で簡単に染められることができたため、日本でも広がっていきました。インド藍や還元剤、化学染料が広まったことにより、古来の天然藍染を行う人はかなり減ったようです。天然灰汁発酵建藍染という表示がある製品でも、化学染料、インド藍、還元剤が利用され、苛性ソーダなどの化学薬品まで使用されているものがほとんどになってきました。

天然の藍染を続けていくこと

―現在は、どのような仕事をされているのですか。

年に何回か展覧会に出すようなものは一から自分で、他の物は息子やスタッフがいるので手分けをしながら染めています。去年は、靴の会社からの依頼で革靴を染めていました。やはり革なので大きいですし、靴のワンロットとなると最小100枚~120枚染めないといけない。また、革は水に浸けるといびつな伸縮をするので、なかなか難しいですし手間がかかりました。

―最後になりますが、これからも古来の天然の藍染が残っていくには何が必要だと考えておられますか。

やはりどんな染料、藍建て方法(藍を発酵させ染色ができる状態にすることを「藍建て」という)を行っているかの表示をしっかりしていくことが一番良いのかと思います。そして、本藍染雅織工房では一滴も化学染料や還元剤、化学助剤を使わず天然灰汁発酵建藍染を続けていくこと、古来の天然の藍染を後世にしっかり伝えていくことが大事だと思っています。

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【プロフィール】
有限会社本藍染雅織工房 代表取締役
中西秀典(なかにしひでのり)
1966年京都市に生まれる
1986年家業藍染製品製造卸会社に就職
1997年工房設立
2016年現代工芸展入選、日本美術展覧会入選
2017年日本の藍展開催、安土桃山時代の国宝修復染色

【工房情報】
天然灰汁発酵建本藍染
有限会社本藍染雅織工房 
〒607-8108 
京都府京都市山科区小山中島町9番地9
HP : http://www.miyabiori.jp


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