茶碗の金継ぎを始める前に押さえておきたいこと
お気に入りの茶碗が割れてしまったとき、その傷を「景色」として愛でる金継ぎは、器に新しい命を吹き込む素晴らしい技法です。本格的に作業を始める前に、まずは器の状態を正しく把握し、自分に合った修理方法を選ぶことが大切です。金継ぎの基本と準備について、詳しく見ていきましょう。
修復可否の判定基準
金継ぎで修理ができるかどうかは、器の素材や割れ方、そして欠片の数によって決まります。陶磁器の茶碗であれば、基本的にほとんどのケースで修復が可能です。たとえ欠片が一部失われていても、漆と粘土のような材料を使って形を復元することができます。しかし、非常に細かく粉砕されている場合や、耐熱ガラスのように特殊な素材の場合は、接着強度の確保が難しくなることもあります。
また、接着面に油分や食べ物の汚れが染み込んでいると、漆がうまく密着しません。茶渋がひどい場合や、一度自分で市販の接着剤を使って直そうとした器は、それらを完全に取り除く必要があります。まずは全ての破片を集め、パズルのように組み合わせてみて、構造的に安定するかどうかを確認することが最初のステップです。
自分で直すか依頼するかの判断材料
自分で金継ぎをする楽しみは格別ですが、器の価値や用途によってはプロに依頼することを検討しましょう。思い入れのある高価な作家物や、美術館級の骨董品、あるいは複雑な破損で構造的な補強が必要な場合は、経験豊かな職人に託すのが安心です。プロに頼むと、非常に細く美しい線で仕上げてもらうことができます。
一方で、日常使いの飯茶碗や、趣味として金継ぎそのものを学びたい場合は、自ら挑戦することをおすすめします。最近は初心者向けのキットも充実しており、多少の歪みも自分で直した跡だと思えば愛着がわきます。修理の難易度と、自分がその器に対して抱いている思いのバランスを考えて、最適な道を選んでみてください。
作業に必要な時間と工程感
伝統的な「本金継ぎ」は、天然の漆が空気中の水分を吸収してゆっくりと固まる性質を利用します。そのため、一段階の工程ごとに数日から一週間程度の乾燥(養生)期間が必要です。割れた茶碗を接着し、欠けを埋め、表面を整えて金を蒔くという全工程を終えるには、最短でも二ヶ月から三ヶ月ほどの時間が必要になります。
この長い待ち時間こそが、器と向き合い、愛着を深める時間でもあります。一方で、化学的な接着剤や合成漆を使う「簡易金継ぎ」であれば、数時間から数日で仕上げることも可能です。時間をかけてじっくり伝統技法を楽しむのか、手軽に早く実用に戻したいのかによって、選ぶべき技法と工程の長さが大きく変わります。
損傷の写真と記録方法
作業を始める前に、必ず器の破損状態を写真で記録しておきましょう。バラバラになった欠片を洗浄したり移動させたりするうちに、どの破片がどこにあったのか分からなくなってしまうことがよくあります。全体像だけでなく、割れた断面の厚みや角度がわかるような接写写真も撮っておくと、後で接着する際の重要なガイドになります。
また、写真は完成後の「ビフォーアフター」を楽しむための記録にもなります。どの部分がどのように割れていたかを覚えておくと、金継ぎの線を入れる際の太さやデザインの参考にすることも可能です。デジタルカメラやスマートフォンのカメラで構いませんので、明るい場所で多方向から記録を残す習慣をつけましょう。
漆かぶれの事前注意
天然の生漆を使用する本金継ぎに挑戦する場合、最も注意しなければならないのが「漆かぶれ」です。漆に含まれるウルシオールという成分は、肌に触れると強いアレルギー反応を引き起こし、痒みや湿疹の原因になります。体質にもよりますが、たとえ乾いているように見えても、作業中は細心の注意を払う必要があります。
作業時は必ず使い捨てのゴム手袋を着用し、長袖の服を着て肌の露出を抑えましょう。もし肌に漆がついてしまった場合は、すぐにサラダ油などの食用油で拭き取り、その後に石鹸でよく洗ってください。水だけで洗うと漆が広がってしまうため、油で浮かせてから落とすのが鉄則です。安全に配慮しながら、伝統の素材と向き合いましょう。
茶碗の金継ぎで揃えるべき基本材料と道具
金継ぎには、漆という特別な素材を扱うための専用の道具が必要です。本格的な本金継ぎを目指すのか、手軽な方法を選ぶのかで揃えるものは異なりますが、ここでは一般的に使われる基本的な材料と道具について紹介します。
本漆と代替接着剤の違い
伝統的な金継ぎの主役は「本漆(天然漆)」です。生漆(きうるし)や黒漆などがあり、非常に強固で耐水性に優れ、完全に乾けば食器として最高レベルの安全性を持ちます。ただし、乾燥に湿度の管理が必要で、時間がかかります。
対して、エポキシ樹脂などの代替接着剤は、数分から数時間で強力に接着でき、漆のような「かぶれ」のリスクが低いのがメリットです。しかし、熱いお茶を注ぐ茶碗に使う場合、耐熱性や食品衛生法の適合性をしっかり確認する必要があります。用途に合わせて、安全な素材を選ぶことが大切です。
錆漆と刻苧の用途
割れや欠けを埋めるためには、漆に他の材料を混ぜてパテ状にしたものを使います。「刻苧(こくそ)」は、漆に木粉や小麦粉を混ぜたもので、粘土のように厚く盛ることができるため、大きな欠損部分の土台作りに適しています。
一方の「錆漆(さびうるし)」は、漆に砥粉(とのこ)を混ぜたもので、ペースト状で滑らかなのが特徴です。刻苧で形を作った後の表面の細かな穴を埋めたり、接合面のわずかな段差を整えたりするために使われます。茶碗の滑らかなカーブを再現するためには、この二つを使い分けて段階的に形を整える工程が欠かせません。
金粉と代用粉の種類
仕上げに使う粉には、本物の金から作られた「金粉」と、真鍮などの合金からなる「代用粉」があります。本金粉は非常に高価ですが、酸化して黒ずむことがなく、いつまでも美しい輝きを保ちます。また、金属アレルギーの心配も少なく、口に触れる茶碗の修理には最も適しています。
代用粉や消粉(けしふん)は安価で練習用には最適ですが、経年変化で色がくすんだり、お茶の成分と反応したりすることもあります。日常的に使う大切なお茶碗であれば、少々コストはかかりますが、純度の高い本金粉を使用することで、将来にわたって満足のいく仕上がりを手に入れることができます。
接着用パテの特徴
簡易金継ぎで多用されるエポキシパテは、粘土のようにこねて成形するだけで、すぐに硬い樹脂に変わる便利な素材です。茶碗の縁(ふち)が欠けてしまった際など、素早く形を復元したいときに重宝します。乾燥後に削ったり磨いたりすることも容易で、作業効率は抜群です。
ただし、パテそのものには色がついていたり質感が陶器と異なったりするため、上から漆を塗って隠すのが一般的です。購入する際は、必ず「食器に使用可能」または「食品衛生法適合」という表示があるものを選びましょう。特に熱い飲み物を入れる茶碗では、素材の安全性にこだわる必要があります。
研磨と研ぎの道具
金継ぎは「塗る」作業と同じくらい「研ぐ」作業が重要です。盛り上げた漆を滑らかにするためには、耐水ペーパー(ヤスリ)や、プロが使う「駿河炭」などの研磨材が必要です。番手は400番程度の粗いものから、1000番、1500番、2000番と細かく揃えておくことで、鏡のような平滑な面を作ることができます。
研ぎ作業には水を使います。当木(あてぎ)と呼ばれる小さな木のブロックにヤスリを巻きつけて使うと、平面を均一に研ぐことができ、失敗を防げます。茶碗の複雑なカーブに合わせるためには、小さく切ったヤスリを指先で器用に操る練習も必要になりますが、研ぎが進むにつれて模様が整っていく様子は非常に楽しいものです。
作業保護具の一覧
漆や強力な接着剤を扱うため、自分の身を守る保護具は真っ先に揃えましょう。以下のリストは最低限必要なものです。
- ニトリル手袋:漆の透過を防ぎ、かつ指先の感覚を保てる使い捨てタイプ。
- アームカバー:袖口を漆の付着から守ります。
- 保護メガネ:万が一の飛散から目を守ります。
- 新聞紙やビニールシート:作業台が汚れないように広めに敷きます。
- マスキングテープ:接着時の固定や、余計な場所に漆がつかないように養生するために使います。
これらをしっかり準備しておくことで、後片付けも楽になり、作業に集中できる環境が整います。
茶碗の割れと欠けを段階的に直す手順
茶碗の金継ぎは、急がず一段階ずつ丁寧に進めることが成功の近道です。ここでは、伝統的な本金継ぎの流れに沿って、どのような手順で修理が進んでいくのかを解説します。
洗浄と脱脂処理
まずは茶碗をきれいに洗うことから始まります。割れた断面には、長年の茶渋や油分、埃が溜まっています。これらが残っていると、どれだけ良い漆を使っても剥がれの原因になります。中性洗剤で丁寧に洗い、よく乾燥させた後、消毒用アルコール(エタノール)で断面を拭き上げ、完全に脱脂してください。
このとき、破片をパズルのように組み合わせてみて、ズレがないか、足りない欠片がないかを最終確認します。もし破片の角が鋭利すぎて怪我をしそうな場合は、ダイヤモンドヤスリなどでごくわずかに面取りをすることもあります。この下準備が、最終的な接着強度と見た目の美しさを左右します。
割れの仮接着工程
割れた破片同士をくっつける際は「麦漆(むぎうるし)」を使います。これは生漆に小麦粉を混ぜた天然の接着剤です。接着面に薄く麦漆を塗り、破片同士をぴたりと合わせます。このとき、わずかなズレも許されません。ズレたまま固まると、後で修正することが不可能になるからです。
固定にはマスキングテープや輪ゴムを使い、適度な圧力をかけて固定します。この状態で「漆風呂(うるしぶろ)」と呼ばれる、適度な湿度のある場所に一週間から十日間ほど置いて、中の漆を完全に硬化させます。はみ出した漆は、固まる前に灯油やテレピン油を含ませた綿棒できれいに拭き取っておきましょう。
刻苧埋めの手順
破片が足りない大きな欠けには、生漆に木粉などを混ぜた「刻苧(こくそ)」を詰め込みます。これを一度に厚く盛りすぎると、中まで乾かずに腐敗したり、剥がれたりする原因になります。深い欠けの場合は、数回に分けて少しずつ盛り上げ、その都度しっかり乾燥させるのがコツです。
刻苧が完全に乾くと、非常に硬くなります。これを彫刻刀やヤスリを使って、茶碗の元の形に合うように削り出していきます。指の腹で触れてみて、陶器の部分と補修した部分の段差がなくなるまで、慎重に形を整えていきましょう。茶碗の縁などの繊細なカーブを復元する、最も職人らしい技術が問われる工程です。
錆漆の塗り重ね
刻苧で形を整えた後、さらに表面の微細な凹凸や針の先ほどの穴を埋めるために「錆漆(さびうるし)」を塗ります。これは漆に砥粉を混ぜたもので、よりきめ細かい仕上がりになります。錆漆を薄く塗り広げ、再び一週間ほど乾燥させます。
この工程は、最終的な金の線の「肌」を作る重要な作業です。錆漆を塗っては研ぎ、研いでは塗るという作業を繰り返すことで、陶器と一体化したような滑らかな下地が出来上がります。地味な作業に思えるかもしれませんが、ここでの妥協が完成時の金の輝きに直結するため、非常に気が抜けない工程です。
研ぎと成形の工程
錆漆が完全に乾いたら、水につけた耐水ペーパーで最終的な研ぎを行います。最初は800番程度、最後は1000番から1500番のヤスリを使い、表面を鏡のように平滑に磨き上げます。水研ぎをすることで、漆の表面がしっとりと落ち着き、金粉を受け入れる準備が整います。
この段階で茶碗を水ですすぐと、修理した部分が水を弾き、模様の形がくっきりと見えます。段差が全くなく、指で触れてもどこが継ぎ目かわからない状態になっていれば完璧です。もし凹みが残っている場合は、もう一度錆漆の工程に戻って修正します。納得がいくまで、この「研ぎ」を繰り返すことが、美しい金継ぎへの道です。
金粉蒔きの工程
いよいよ華やかなクライマックス、金粉蒔きです。研ぎ上げた面に「絵漆(えうるし)」と呼ばれる粘りのある漆を、極細の筆で薄く塗ります。この漆が「乾きかけ」のタイミング、つまり表面が少し粘つくようになった瞬間に、真綿や筆を使って金粉を優しく蒔いていきます。
漆が乾きすぎると金粉がつきませんし、早すぎると金粉が漆の中に沈んでしまい、色が濁ってしまいます。この「見極め」が金継ぎの最も難しい部分ですが、黒い漆の上に黄金の輝きが宿る瞬間は、それまでの苦労がすべて報われる感動的なひとときです。蒔いた後は、再び一週間ほど置いて、金粉を漆に定着させます。
磨き仕上げ
金粉を蒔いて乾燥させた後、余分な粉を水で洗い流します。この段階ではまだ金の色は少しマットで落ち着いた状態です。ここに最後の魔法をかけます。ごく薄く生漆を塗り重ねて金粉を保護し(粉固め)、さらに乾燥させた後、磨き粉や鯛の牙、あるいは専用の研磨剤を使って表面を磨き上げます。
磨くにつれて、漆の中に閉じ込められていた金の輝きが一段と増し、深みのある上品な光沢が生まれます。茶碗を手に取ったとき、金の線が美しく光を反射するようになれば完成です。自分の手で直した茶碗で最初にお茶をいただく喜びは、金継ぎを経験した人だけが味わえる贅沢な体験になります。
茶碗で使える金継ぎの方法比較と適用例
金継ぎには、古来伝わる伝統的な方法から、現代の技術を活かした簡易的な方法まであります。使う茶碗の性質や、どれくらいの期間使いたいかによって、最適な方法を選び分けることが賢明です。
本漆による伝統修理
天然の漆のみを使用する「本金継ぎ」は、数百年以上も前から続く信頼の技法です。最大の特徴は、完全に硬化した漆が非常に堅牢で、かつ食品に対する安全性が極めて高いことです。熱いお茶を注ぐ茶碗にとって、漆は理想的なコーティング剤となります。
また、本漆は年月が経つほどに色が馴染み、味わい深くなる経年変化も楽しめます。欠点は、前述の通り完成までに数ヶ月の時間を要することと、漆かぶれのリスクがあることです。それでも、大切な一客を次世代まで受け継ぎたいのであれば、この伝統的な本漆による修理が最もふさわしい選択肢と言えます。
簡易エポキシ修理法
「手軽に直してすぐに使いたい」というニーズに応えるのが、エポキシ樹脂と合成塗料(新うるしなど)を使った簡易金継ぎです。接着力が非常に強く、乾燥も数時間で済むため、週末の数時間で全ての作業を終えることも可能です。かぶれの心配もほとんどありません。
ただし、注意点として、熱いものを入れる茶碗に使う場合は、使用する接着剤が食品衛生法に適合しているかを必ず確認してください。また、漆に比べると経年劣化で剥がれやすい傾向があります。思い入れのある高級品よりも、普段使いのマグカップや、お皿、花瓶などの修理に向いている方法です。
蒔絵風の装飾法
金継ぎの線を単なる修理の跡としてではなく、一つの芸術作品として楽しむのが「蒔絵(まきえ)風」の装飾です。割れた線をただなぞるだけでなく、継ぎ目の周りに小さな花を描いたり、金粉と銀粉をグラデーションのように蒔き分けたりすることで、器に新しい物語を付け加えます。
この方法は、特に無地のシンプルな茶碗や、少し寂しい印象の器に施すと、劇的な変化をもたらします。修理という枠を超えて「リメイク」として楽しむことができるため、クリエイティブな趣味としても非常に人気があります。自分の感性を発揮して、世界に一つだけの茶碗を作り上げることができます。
ガラス茶碗への対応
涼しげなガラスの茶碗(夏茶碗など)も金継ぎが可能ですが、陶器とは異なる注意点があります。ガラスは表面が滑らかすぎて、通常の漆だけでは剥がれやすいため、特殊な下地処理(シランカップリング剤の使用など)が必要になる場合があります。
また、ガラスは透明なため、修理箇所の裏側(内側)が透けて見えます。接着剤の色がそのまま見えてしまうため、断面をきれいに整え、色のついた漆で美しく縁取るなどの配慮が必要です。ガラス特有の透明感と、金の線のコントラストは非常にモダンで、成功すれば非常に美しい仕上がりになります。
電子レンジ使用器の扱い
金継ぎをした茶碗を扱う上で、最も気をつけるべきなのが電子レンジです。金継ぎの仕上げに使う「金粉」や「銀粉」は本物の金属ですので、電子レンジに入れると火花が散り、漆の層を焦がしたり、最悪の場合は器を割ってしまう危険があります。
たとえ代用粉(真鍮など)を使っていても金属には変わりありません。金継ぎされた器は「電子レンジ不可」であると割り切りましょう。もし、どうしても電子レンジで使いたい器を直したい場合は、金属粉を使わずに、色漆(赤や黒)のみで仕上げる方法を選べば、火花の心配はなくなりますが、急激な熱変化には注意が必要です。
色漆と銀の使い分け
金継ぎという名前ですが、必ずしも「金」を使う必要はありません。落ち着いた印象にしたい場合は「純銀粉」を使い、錫(すず)のような渋い輝きを楽しむことができます。また、金属粉を一切使わずに、弁柄(赤)や黒の漆のみで仕上げる「漆継ぎ」も、茶人の間では古くから好まれてきました。
青い染付の茶碗には銀色がよく合い、朱色の器には黒漆が引き立ちます。器のデザインや自分の好みに合わせて、仕上げの素材を選ぶことも金継ぎの大きな楽しみの一つです。金属アレルギーが心配な方にとっても、漆のみの仕上げは非常に安心できる選択肢となります。
失敗しないための注意点と頻出トラブルの対処法
金継ぎは繊細な作業の積み重ねです。どんなに気をつけていても、思わぬトラブルが起きることもあります。ここでは、初心者が陥りやすい失敗とその原因、そして解決策をまとめました。
接着不足の原因
「くっつけたはずの破片が、数日後にポロリと取れてしまった」という失敗はよくあります。主な原因は、断面の洗浄不足による油分の残留か、接着剤(麦漆など)の厚塗りです。漆は薄く塗ることで最大の強度を発揮します。厚く塗りすぎると、表面だけが乾いて中が生乾きの状態になり、強度が不足します。
また、接着時にしっかり圧力をかけて固定しなかったことも考えられます。断面をアルコールで再洗浄し、漆を薄く、均一に塗ってから、マスキングテープや輪ゴムで隙間なく密着させてください。焦らず、規定の乾燥期間(最低でも一週間)をしっかり守ることが、強固な接着への唯一の道です。
漆の乾燥トラブル
「漆がいつまでもベタベタして乾かない」あるいは「表面が縮んでシワが寄ってしまった」というのは、漆特有のトラブルです。漆は温度25度前後、湿度70%から80%という、じめじめとした環境で最もよく乾きます。乾燥が悪い場合は、湿らせたタオルを入れた段ボール箱(漆風呂)を用意し、その中に器を入れましょう。
逆に、湿度が極端に高すぎたり、一度に漆を厚く塗りすぎたりすると、急激に乾きすぎて表面にシワが寄る「チヂミ」という現象が起きます。漆を塗る際は「向こう側が透けるくらい薄く」が基本です。乾燥のペースをコントロールできるようになると、金継ぎの腕前はぐんと上がります。
研磨時の傷問題
研ぎの工程で、陶器の部分にまで深い傷をつけてしまう失敗も多いです。これを防ぐためには、研ぎたい箇所の周りをあらかじめマスキングテープで保護する(養生する)ことが非常に有効です。また、ヤスリを使う際は必ず水に濡らし、力を入れすぎずに優しく円を描くように動かしましょう。
もし深い傷がついてしまった場合は、さらに細かい番手のヤスリで少しずつ周囲を磨き直すしかありません。茶碗の釉薬(ゆうやく)は意外と硬いですが、強くこすりすぎれば傷つきます。常に「今どこを研いでいるか」を意識しながら、指先の感覚を研ぎ澄ませて作業を進めることが大切です。
金粉の剥がれ予防策
「完成したのに、洗っているうちに金粉が剥げてきた」というのは非常に悲しいトラブルです。これは仕上げの「粉固め」が不十分なことが原因です。金粉を蒔いた後、その上からごく薄く生漆を染み込ませるように塗り、さらに乾燥させることで、金粉が漆の層にしっかりと閉じ込められます。
この粉固めを丁寧に行うことで、スポンジで洗っても落ちない丈夫な金継ぎになります。また、日々の手入れで食洗機を使うのは厳禁です。高温の熱水と強力な洗剤は、せっかくの金継ぎを短期間で傷めてしまいます。手洗いで優しく扱うことが、金粉を長持ちさせる最大の秘訣です。
古い接着剤の除去方法
以前に瞬間接着剤やボンドで直そうとして失敗した茶碗を金継ぎする場合、古い接着剤を完全に取り除く必要があります。これが残っていると漆が付きません。多くの接着剤は熱に弱いため、熱湯に数十分浸けることでふやけて剥がれやすくなります。
頑固な接着剤の場合は、アセトン(除光液の成分)や専用の剥離剤を使いますが、陶器の隙間に入り込んだものは削り取るしかありません。この「掃除」の工程を疎かにすると、金継ぎ後の強度が極端に落ちてしまいます。面倒に感じるかもしれませんが、まっさらな断面に戻すことが、美しい仕上がりへの近道です。
温湿度管理のコツ
漆を扱う上で最も大切な「漆風呂」の管理ですが、特別な設備は必要ありません。プラスチックの衣装ケースや段ボール箱に、濡らして固く絞ったタオルを一枚入れておくだけで、理想的な湿度(70〜80%)を保つことができます。
冬場など気温が低い時期は、漆の反応が極端に遅くなります。その場合は、家の中でも比較的暖かい場所(リビングなど)に箱を置くか、小型のヒーターなどで20度以上に保つ工夫をしましょう。毎日、箱の中の湿度計をチェックし、漆の状態を観察する時間は、生き物を育てているような楽しさがあります。
キット購入や教室利用で賢く始めるポイントと費用感
金継ぎを始めるには、道具を一つずつ揃えるよりも、必要なものが揃ったキットを購入するのが近道です。また、最初はプロから直接学べる教室に通うことで、失敗のリスクを大幅に減らすことができます。
初心者向けキットの内容
市販の金継ぎキットには、大きく分けて「本漆用」と「簡易用」があります。本漆用のキットには、生漆、小麦粉、砥粉、木粉、そして少量の金粉と筆、ヤスリ、ゴム手袋などがセットになっており、5,000円から10,000円程度で販売されています。これ一式あれば、茶碗数個から十数個の修理が可能です。
選ぶ際のポイントは、解説書や動画サポートが充実しているか、そして材料の品質(特に漆の鮮度)が良いかです。あまりに安価なキットは金粉が非常に少なかったり、漆が古くて乾きにくかったりすることもあるため、定評のある金継ぎ専門店や画材店が提供しているものを選ぶのが安心です。
市販パテの選び方基準
パテを使って欠けを埋める場合、ホームセンターなどで手に入る「エポキシパテ」が便利です。選ぶ基準は、何よりも「安全性」です。「食品衛生法適合」や「食器の修理用」とはっきり書かれているものを選んでください。工業用のパテには、口に触れるものには適さない成分が含まれている場合があります。
また、乾燥後の硬さや削りやすさも重要です。陶器に近い硬さになるタイプは研磨がスムーズです。パテは一度開封すると劣化が早いため、少量ずつの使い切りタイプを選ぶのが無難です。自分に合った素材を見極めることで、金継ぎの仕上がりは格段にプロに近づきます。
教室選びのポイント
一人で始めるのが不安な方は、金継ぎ教室を探してみましょう。最近では1日で終わる体験コースから、数ヶ月かけてじっくり学ぶ本格コースまで様々です。選ぶ際は、自分が「本漆」でやりたいのか「簡易法」でやりたいのかを明確にし、それに合った講師を選んでください。
教室の雰囲気や、振替受講ができるかといった通いやすさも大切です。また、先生の作品スタイル(線の細さや色の使い方)が自分の好みに合っているかどうかも、モチベーションを維持する上で重要な要素になります。プロの技を間近で見ることができる教室は、上達の大きなショートカットになります。
プロ修理の料金相場
自分でする時間がない場合や、大切な器を完璧に直したい場合はプロに依頼します。料金の相場は、破損の程度によりますが、小さな欠け(数ミリ)一つで3,000円〜5,000円程度、割れ(接合)の場合は5,000円〜15,000円程度が一般的です。金粉の使用量や、破片の数によって加算されます。
また、本漆による修理は数ヶ月の期間を要するため、保管料が含まれることもあります。見積もりは無料で、メールで写真を送るだけで概算を出してくれる工房も多いです。費用を抑えたい場合は、銀仕上げにするなどの選択肢も提案してもらえるため、まずは気軽に相談してみるのが良いでしょう。
修理依頼の流れ
プロに依頼する場合、まずはメールやLINEで写真を送り、見積もりをもらいます。金額と納期に納得したら、厳重に梱包して器を送ります。配送中にさらに割れてしまわないよう、破片を一つずつ包み、箱の中で動かないように緩衝材を詰めるのがマナーです。
工房に到着後、詳細な診断と最終見積もりが届き、修理がスタートします。完成までは数ヶ月かかりますが、その間、進捗状況を知らせてくれる工房もあります。修理が終わった器は、丁寧に梱包されて手元に戻ってきます。プロによって息を吹き返した茶碗は、驚くほど美しく、再び食卓を彩ってくれるでしょう。
おすすめ紹介:金継ぎに挑戦するための専門店とキット
金継ぎに必要な良質な道具や、信頼できる修理相談ができるショップをご紹介します。
| ショップ・ブランド名 | 特徴 | 公式サイトリンク |
|---|---|---|
| 金継ぎ暮らし | 初心者向けキットが充実しており、動画解説も分かりやすいです。 | https://kintsugikurashi.com/ |
| 播与漆行 (HARIYO) | 江戸時代創業の漆専門店。プロ仕様の漆や道具が個人でも購入可能です。 | https://www.hariyo.co.jp/ |
| つぐつぐ (TSUGUTSUGU) | 伝統的な本漆のセットが人気。ワークショップも開催しています。 | https://kintsugi-girl.com/ |
| PIGMENT TOKYO | 希少な金粉や美しく高品質な画材を取り扱う、芸術性にこだわる方向けのラボ。 | https://pigment.tokyo/ |
茶碗の金継ぎを長く楽しむためのまとめ
茶碗の金継ぎは、壊れたという悲しい出来事を、世界に一つだけの新しい物語に変える魔法のような技法です。時間はかかりますが、自分の手で一つひとつの工程を積み重ね、漆の乾きを待ち、金を蒔き、最後に磨き上げる体験は、物を大切にするという日本古来の心を思い出させてくれます。
本漆の安全性を活かし、伝統的な「景色」として慈しむのか、現代的な素材で手軽に楽しむのか、正解はありません。大切なのは、あなたの茶碗にとって最も幸せな修復の形を選ぶことです。金継ぎで蘇った茶碗でいただく一杯の茶は、これまでの思い出と新しい美しさが混ざり合い、きっと格別の味がするはずです。どうぞ、この豊かな手仕事の世界を楽しんでください。
