職人さんインタビュー・フリーペーパー京都『想いのしおり』
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猪原啓三さんー図案を描く目は真剣そのもの工房の中に響くアップテンポな音楽と共に作業が進む鏡師 山本晃久(41) 1975年京都生まれ。国内で数少ない手仕事による和鏡・神鏡・魔鏡を製作する山本合金製作所に生まれ、大学を卒業後、家業に入る石田健司 1965年滋賀県守山市生まれ 1984年芦田金彩工芸に入社。芦田俊明氏に師事し、京友禅金彩の仕事に就く小学校6年生の頃に瓦屋か、設計関係の仕事をしたいなと思いました。ここ「浅田製瓦工場」は明治44年祖父が創業し、私で3代目になります。この店は、130年余前に畳屋として祖父が始めたのが最初です。2代目が私の親父で私が3代目になります。1920年代 初代西村圭功 京都市上京区で創業 以後、上塗り専門の塗師として食器・茶道具を製作。 当代、三代西村圭功は上塗り仕事に加え全行程を習得し、職人仕事に加え作家活動も展開。特に「撓め」という技法を中心に精力的に活動中。「一澤信三郎帆布」の鞄は、1905年に京都東山で牛乳配達袋・酒袋・大工袋など職人用の道具袋を作ったのが始まりです。創業から110年以上を経た今も、一つ一つ手作りで鞄を作り続けています。 「良質の綿・麻帆布をつかって、丁寧な仕事をすること」「長くお使い頂くため、できる限り修理を引き受けること」「京都で作って、京都で売ること」18歳の時から先代竹美斎の指導を受け、編組についてすべてを習得する。先代亡き後2代目を昭和39年に襲名する。以後独自に研にはげみ。唐物写・時代籠なども古い時代の籠編みも習得し、なお制作竹芸も研究し制作する。平成21年度京都府伝統産業優秀技術者(京の名工)に認定される。平野喜久夫 1939年、京都・西陣に生まれる。伝統工芸士。綴織の機屋の父に師事し、3代目を継ぐ。川島織物セルコンに入社後、40年あまり技術を磨く。その後西陣織会館にて後継者育成などに携わったのち、2011年に綴織技術保存会「奏絲綴苑」を設立。綴織の魅力を伝えるべく、工房を公開し、見学や体験教室などを行っている。瑞宝単光章叙勲。友禅染職人 水口義治染匠 市川昌史よろしくお願いします。僕がまだ小さい頃は、近くの小さなところで、作業をしていました。それから、今の場所に移って来ました。今は、1人で仕事をしていますが、昔はたくさんの方がいましたよ。僕が、小さい頃は手伝わさせられていたみたいです。いったんは就職したんですけど、二十五歳ぐらいで実家に戻ってずっとやっています。しっかりした物を製造してくれる、注文した以上の仕事をしてくれる、というイメージが広がれば、嫌でも依頼は入って来ます。そして次の世代が技術を磨けば、発揮できる場所が残せます。そういった環境にしていかなければ、下請けで安い仕事ばかりでは厳しいですね。 ーそのために、取り組もうと思っていることはありますか。 現在は、竹割から絵付けまで全てを行える状態です。ならば、この場所なのか、違う場所なのかは分からないですが小売りもしないといけません。今は、そういったことに取り組んでいきたいです。陶器作家。19歳で陶器の道に入り、焼き物の世界の面白さを知る。京都五条坂に陶器商・ギャラリー「壺屋喜兵衛」、日吉には工房(登り窯)を持つ。お客さんの顔を思い浮かべながら制作している。まず、念珠職人としてどんなことをされているのですか? まず、仕入れてきた珠を足ふみ轆轤(ろくろ)を回しながら、珠を仕上げたい大きさに削っていきます。その後に磨いて穴を開け、紐を通すところまでが大まかな流れです。仕上げる珠の大きさがいろいろであるため、同じ道具でも何十種類とありそれを使い分けないといけません。
info@omoinosiori.com
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